2009.01.15

殺されたのはハマスなのか ガザ攻撃19日目

ガザ攻撃が始まって19日目の14日、ガザでの犠牲者はとうとう1000人を突破した。BBCによると、死者1010人、負傷者は4700人になったという。死者数だけをみても、刻々と増加している。13日〜14日にかけての爆撃は60回にも及び、イスラエル軍の参謀総長は攻撃開始以降、2310回の空襲を行ったことを国会で発表した。「我々はハマスに大きな打撃を与えた」とこの参謀長。しかし、作戦はまだ続くという。

何度でも書くが、殺されているなかには民間人が圧倒的に多い。ジュネーブ条約で守られているはずの救急クルーにたいしても、おかまいなしに攻撃がなされている。そのレポートから。

「……医療スタッフのハサン・アル・アタルとジャマルが救急車(101救急車とはっきりと記されている)を降りて、道の真ん中に横たわっている遺体に向かっていった。ふたりともパレスチナ赤新月社(PRCS)のユニフォームを着ている。ハサンは蛍光帯のついた明るい赤、ジャマルは同じく蛍光帯のついた明るいオレンジ色と白のベストだ。ゆっくりと近づいていくふたりの手には、遺体を運ぶストレッチャー以外には何もない。アルセがその様子をヴィデオに収める。ハサンとジャマルが死んだ男性を抱え上げ、ストレッチャーに載せ、救急車に戻りはじめる。突然、アルセがまだ撮影を続けている時に、銃撃が起こった。明らかにスナイパーの銃撃だ。マシンガンではない。ハサンとジャマルは、信じがたいことに、それでもなお遺体を運びつづけようとし、死んだ男性を載せたストレッチャーごと走った。でも、とうとう、自分たちの命を守るためにストレッチャーから手を放さざるをえなくなった。

時間は午後1時半ころ。イスラエル自身が宣言した「時間限定停戦」の最初の日に、スナイパーが医療スタッフを狙い撃っている。救急車はサイレンを鳴らしっぱなしで、運転手は、私たちと自分に向けてさらなる銃弾が襲いかかってくるのをかわそうと即座に車を発進させ、スナイパーから遠ざかる方向に走り出した。結果、私たちは半狂乱になって、ハサンとジャマルを探しまわることになった。

これに先立つ日々、ガザの人たちに対するイスラエルの空爆・地上攻撃が始まってから、7人の医療スタッフが殺された。怪我をした者は何十人にも及ぶ。ハサンもその一員に加わることになった。スナイパーの銃弾はハサンの太ももを貫通していて、ハサンが必死に救急車に這いずり込んできた時には、ズボンから血がどっぷりしみ出ていた。……

(中略)

……私はもう気が気でなかった。ハサンもジャマルも失うことになるのかもしれないと思った。何度表彰されてもいいくらいの仕事をやっている、この素晴らしい若者たちを。でも、とうとうふたりを見つけ出した。ハサンとジャマルが救急車に跳び込んでうしろのドアを引き下ろすまでの10秒か15秒が果てしなく長く思えた。その15秒の間にも、私たちは最悪の事態におびえつづけていた。救急車が一目散に逃げ出した時、最後の銃弾がバックドアに命中した。…… 」( 「医療スタッフを狙い撃ちするイスラエル兵」 [パレスチナ情報センター]より引用)

誰一人、安全でいられる人がいない。負傷者すらまともに救助することができない。この蛮行をどれだけの言葉で非難すればいいのかもわからない。

毎日新聞ではエジプトの救急車が、「時間限定停戦」の合間を縫って、ガザに入り、溢れている負傷者をエジプト側に搬送した話が報道されていたが、そこには悲痛になる談話が載せられていた。

「子供たちの多くは、搬送に耐えられず途中で死亡するリスクが高いと判断され、対象から外さざるをえなかった」。爆撃で破壊された道路を走るため振動が激しく、イスラエル軍の検問で長時間止められる危険性があるからだ。

重体の子どもを助けることができず、ガザで十分な手当もできないまま、最低限の医薬品で手を尽くすしかないのだ。

(私が引用した2本の記事を同じように引用した 「「ガザでの戦争犯罪についての調査を求める声が高まる」――ガーディアン、クリス・マクグリール記事」 [tnfuk]では、「国連の上級職員や人権団体から、ガザでの国際的な戦争犯罪調査を行なうべきだとの声がますます高まっている」という記事が訳されている。こちらもぜひ、一読を。)

さて、では、打撃を受けているという「ハマス側」の犠牲者はどうなっているのだろうか。これについては、ほとんどレポートがないが、唯一、このようなものを私は読んだ。

(以下、概要)

1月4日の午後10時、ガザ・ブレイジュ難民キャンプに住むアブ・ジュバラ家の家族たちは庭で木を燃やし、湯を沸かして、お茶を飲もうとしていた。そこにイスラエルの戦闘機から攻撃があった。

生き残った兄弟のアリは思い出して語る。

「兄のハレドは寒くなってきたんで娘を抱き抱えて、ベッドのほうに連れていったんです。兄がこちらに向いたとき、ミサイルが家を直撃しました」

ハレドは背中に破片を受け、重体となって、サウジアラビアの病院の集中治療室に移された。ほかに1人が負傷。アリとハレドの兄弟、30歳のバセルと21歳のウサマ、それに兄弟の父親で身体が麻痺している53歳のジハードが殺された。彼らの遺体は断片となって、あちこちに飛び散った。

10人の子どもたちを含む18人が住んできた、難民キャンプのつつましい家も瓦礫となってしまった。近隣の家も2発のミサイルでひどく損傷を受けている。

「ティーカップ、そして壊れたイス、血のしみだけが、ガザ中部のブレイジュ難民キャンプでアブ・ジュバラ家の5人が直前まで座っていたところに残された」( Targeting a cup of tea in Gaza より)

殺された兄弟はハマスに加入していたと近所の友だちが語っている。

「二人はぼくの友人でした。ぼくがファタハと関係を持っていたとはいえ。虐殺された彼らは、親切でいいやつで、悪いことはけしてしなかった。ぼくには考えられないのです、イスラエルに殺されたぼくの友人がハマスの戦闘員だったとは」

殺された兄弟はたしかにハマスに加入していた。けれども、政党であるハマスの一党員だったのか、軍事作戦に深く関わっていたのかはわからない。

ただ、言えることは、二人は「戦闘」などで殺されたのではなく、家族と「お茶を飲んでいて」殺されたということだ。そして、ほかの家族も犠牲になった。マスメディアはこれをハマス側の死者とするのか、民間人の死者とするのか、私にはわからない。これもまた虐殺のひとつなのだ、と私は思う。


私は耐えられないと思うので、NHKの特集などを見ていませんが、見た人によると、イスラエル軍の広報そのまま、嘘のオンパレードであるということです。(停戦を破ったのがイスラエルであることくらいは、すぐにわかることなのだから、事実として最低限押さえてほしいもんだ)。

そういうNHKにイスラエルの中から書かれた記事――ハアレツ紙のアミラ・ハス記者によるもの――を読んでもらいたいと思いました。翻訳がでています: 「歴史はカッサムロケットで始まったわけではない」 [エスペランサの部屋]

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