2009.01.10

ガザ攻撃14日目 「集めておいて、一度に殺す」

攻撃14日目の9日(金)には、イスラエルのおぞましい犯罪がまたひとつ明かされた。OCHA(国連人道問題調整事務所)が発表したもので、イスラエル軍が住民たちを強制退避させ、一ヶ所に110人を集めて、そこに砲撃を何度も仕掛け、すくなくとも30人を殺害したというものだ。

4日、ガザ市近郊のザイトゥーン地区で、イスラエルの歩兵たちが、住民に対して退避を強制し、倉庫のような一軒家に押し込めた。連れていかれたのは、半数が子どもの110人の人たちだった。そこから出てはいけない、と命令された住民たちはその家でじっとしていたが、5日になってそこにイスラエル軍は爆撃を繰り返し、30人が殺された。生き残ったもので、歩くことができた人は、自力で幹線道路まで行き、救急車や民間車で病院まで運ばれた。病院につくことはできたものの、3人の子どもが(最年少は5ヶ月)が死んだ。

国連ではこれを「作戦開始以来の重大な出来事」だと非難しているが、イスラエル軍は「この件については知らない。調査中だ」(また、でた!)とだけコメントしている。( Israel shelled Gaza house crowded with civilians: witnesses より)

昨日書いた「殺された母と子どもたち」のニュースはこの事件の一部だったということが、やっとわかった。

負傷した者たちはそこにそのまま取り残され、攻撃がひどいなか、救出されないで7日までいたことになる。

この体験をした女性の証言が出ているので、ざっと紹介してみたい。

(メイサ・ファウジィ・アル・サムニさんは、幼児の母親である19歳の主婦。4日の午前、サムニ家には14人の家族がいた。一家はイスラエル兵に武器で脅され、家を出て、別な家に移り、そして、さらにもう一回べつの家に移された。5日の朝、別な親戚も連れてこようとその家を何人かの男たちが出ようとした)。

「彼らが家を出た瞬間、ミサイルか砲弾が彼らを直撃しました。ムハンマドはその場で死に、他のものたちは破片で負傷しました。私の夫は助けに行こうとしましたが、そのときまた家の屋根に攻撃がありました。その激しさからいって、私はF16戦闘機からのミサイルだと思います。

ミサイルが撃ち込まれたとき、私は娘を下に抱き、横たわりました。煙と塵でなにもかもが覆われ、叫びと泣き声が聞こえていました。煙が少し晴れてきたときに私はあたりを見回し、2〜30人の人が死に、約20人ほどが怪我しているのをみつけました。何人かは重傷で、何人かは軽い怪我でした。

私の周りで殺されていたのは、背中を撃たれていた夫、脳が床にとびちっていた義父、さらに義母、夫の兄、その妻、甥の妻、そしてその息子のムハンマド5ヶ月でした。(中略、ほかに3人の名前)

夫の兄弟であるムーサと私は軽い怪我ですみました。娘は指がちぎれていたので、スカーフでくるみ、止血しました。怪我をした人たちは床の上で助けを求めて泣き、動くことができませんでした。(中略)

(ムーサとメイサは子どもたち3人を連れて、20メートル離れた叔父の家に向かったが、そこにはイスラエル兵がいた)

そこには4〜50人の兵士がいて、それ以上の数の人びとがひとつの部屋に集められていました。男性は10人くらいいて、目隠しをされていました。

ひとりの兵士が私のところにきて、私と娘に救急手当をし、脈をはかりました。それから兵士はムーサを縛り、目隠しをしました。

私たちは出ていってもいいが、ムーサと叔父のイマッドはハマスが来たときのために置いていかないといけないというのです。それで私は彼らが男性たちを「人間の盾」にしようとしていると気づきました。私たちは家から追い出され、道を500メートルくらい歩いたところで救急車をみつけることができました。(中略)

私の今わかっている限りでは、死者と負傷者はまだ瓦礫の下にいます。そのうちの誰ひとり病院でみていないのですから。」

Testimony: Gaza family massacred, survivors detained より)

ほかにも、避難中に白旗をあげて歩いていたときに撃たれ、2人が殺されたできごとも証言されている( Testimony: Israeli troops open fire on those fleeing shelling )。

国連の学校を攻撃して43人を殺した件では、イスラエル軍は「「戦闘員」が近くから攻撃していたから」という理由を取り下げ(つまり、嘘だったということ)、それは「誤爆」だったと訂正している。避難民がいる学校に砲撃を加えるのが「過ち」だったと? 

昨日、大雑把な部分訳を出したロバート・フィスク記者の文章の翻訳がでたので、そこから一部引用させてもらおう。

(前略)

「これまでも、私は、こうした非道な行為を糊塗するためにイスラエル軍が使ってきた口実の数々を報告してきた。これからもイスラエル軍がいっそう熱心にこうした口実をまき散らすことは充分に考えられる。そのいくつかをここで改めて確認しておこう。パレスチナ人はみずから同胞である避難者を殺している/パレスチナ人は墓地の遺体を掘り起こし、それを攻撃された場所のあちこちに置いている/パレスチナ人は武装派を支持しているから、また、武装パレスチナ人は罪のない一般市民を意図的に「盾」に使っているから、とどのつまり咎められるべきはパレスチナ人だ。

サブラ-シャティーラの殺戮を実行したのはイスラエルの同盟集団である、レバノンの極右ファランジスト党の民兵だが、48時間の間、イスラエル軍は何もせずに殺戮が進行するに任せ、つまりは、みずからも虐殺に加担していたことが、のちの調査で明らかになった。イスラエルの罪責が問われた時、時のメナヘム・ベギン政権は、とんでもない誹謗中傷だと、逆に世界中を非難した。(中略)マルワヒンの殺戮に関しては、イスラエルは弁明すらしていない。村の人たちは、逃げろというイスラエルの命令に従って避難所に向かおうとしていたところをイスラエル軍のヘリコプターの銃撃に襲われた。村人は、自分たちが純然たる一般人であることがイスラエルのパイロットにもはっきりわかるようにと、子供たちを、これから避難所に運んでくれることになっているトラックの周りに立たせていた。そこに、イスラエルのヘリコプターが至近距離から銃弾を浴びせ、村人と子供たちを次々になぎ倒していった。生き残ったのはわずかに2人。死んだふりをしてじっと動かずにいたおかげだった。マルワヒンの殺戮に対して、イスラエルは申しわけ程度の謝罪もしていない。

12年前にも、イスラエルのヘリコプターが近隣の村から一般人を運んでいる途中の救急車を攻撃し、子供3人と女性2人を殺害した。この時も村人たちは、イスラエルから「別の場所に移るように」と命令を受けていた。イスラエルは、ヒズボッラーの武装メンバーが救急車に乗っていたからだと主張した。これは事実ではない。私は、これら殺戮行為のすべてを調査し、生存者から話を聞いて、記事にした。ジャーナリスト仲間の多くが同じことをした。そんな私たちは、当然のように最大限の誹謗中傷を投げつけられた。私たちは反ユダヤ主義者であると口を極めて非難されたのだ。

以下に書くことに、私はいささかの疑問も抱いていない。私たちはこれからもまた繰り返し、でっち上げの誹謗がまき散らされるのを耳にするだろう。「悪いのはハマースだ」という嘘はもとより(まったくのところ、今回のことを付け加えなくとも、ハマースを咎める口実はいくらでもある)、「墓地から運んできた死体」という嘘が出てくる可能性もありそうだ。ほぼ間違いないのは「ハマースが国連の学校の中にいた」という嘘、そして、絶対的に確実なのは「反ユダヤ主義者」という嘘。さらに、我々のリーダーたちは、あわてふためきながら、世界に対し、最初に停戦協定を破ったのはハマースであることを思い出させようとするだろう。これもまた事実ではない。停戦協定を先に破ったのはイスラエルだ。11月4日にイスラエルはガザを攻撃して6人のパレスチナ人を殺し、 11月17日にも再度の攻撃で、さらに4人のパレスチナ人を殺した。

そう、イスラエルにも安全を求める権利はある。この10年間で、ガザの周辺で12人のイスラエル人が死んでいる。これは、実際、恐ろしい数字だ。だが、わずか1週間あまりで600人ものパレスチナ人が死に、1948年(この時、デイル・ヤシン村でのイスラエルによる殺戮がきっかけとなって、パレスチナ人が自分たちの土地から逃げ出し、そして、そこがイスラエルとなるに至った)以来のパレスチナ人の死者が何千人にもなるというのは、まったく別のスケールの話だ。これが思い起こさせるのは、いつもながらの中東での流血の事態などではない。今回の空爆・侵攻は1990年代のバルカン戦争に匹敵する残虐行為だと言うべきだろう。そして、アラブの人々が抑えることのできない怒りに立ち上がり、その猛烈な怒りを欧米諸国に向けた時、私たちは当然のように、こう言うだろう。私たちにはまったく関係がない、と。どうしてアラブの人たちは私たちを憎むのか。そう問うかもしれない。しかし、私たちは、その答えを知らないと言うわけにはいかないのだ。 」

(山田和子訳)

「アラブの人たちはどうして私たちをこんなにも憎むのか?──私たちはその答えを知っているはずだ」 より)

いったい、どれだけ同じような虐殺を繰り返せばすむのか

フランスの23市民団体は、合同で、国際刑事裁判所に対してイスラエルを告訴する手続きに入ったという。被告はペレス大統領、オルメルト首相、リヴニ外相、バラク国防相だ。

攻撃13日目、ガザの南部に攻撃が集中したという日に。犠牲者は死者785人(792人説も)。そのうちの3分の1は、子どもであると国連は発表した。

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考えられない

コメント by :ダルヴィーシュ見習い

あまりのことに、大概はありえると思っていた自分でも、
戸惑い、怒りが込みあげるだけです。
許されないよ!!!そんなこと!!!!!
涙が止まらないよ!

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2009.01.10 (Sat) 08:09

イスラエルはナチスを最早責められない

コメント by :林 俊成

1箇所に集めて、故意に無差別大量殺戮をした。ナチスのガス室を髣髴させる。封鎖し、街を武力で取り囲み、将にガザの市民を抹殺しようとしている。ワルソーゲットを思い出した。ナチスの被害者だった筈のイスラエルがナチスになったと私には思える。

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2009.01.10 (Sat) 22:17

気になる…

コメント by :宮崎

アミラ・ハス「ガザの住民:ハマス男性のふりをしているIDF部隊」

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1054461.html

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2009.01.11 (Sun) 11:55

これは現代のゲルニカだ。

コメント by :kensuke

ここ数日、私はパレスチナ自治区から発信されているであろう「パレスチナ情報センター」http://www.palestine-info.co.uk/en/のホームページ英語版を見ている。現在ガザで行なわれている住民虐殺の実態を、投稿された画像と記事をリアルタイムで見ることで、その惨たらしさに激しい衝撃と怒りを感じた。彼の地では、生身の人間が血を流し、爆撃の灰や土埃をかぶって痛ましい死体の姿に変わっているのだ。

テロリスト掃討の名目でイスラエル軍は無差別に発砲している。実際には犠牲者のほとんどが一般市民や子供たちである。イスラエル軍は、この上さらにガザ市内に突入し、戦車から砲撃し、民家に踏み込み銃撃戦をしようとしている。まさに、狂っている。クレイジー・シオニストだ。血に飢えた悪魔の所業であるとしか言いようがない。国際社会は、もうこれ以上の恥ずべき虐殺をやめさせなければならない。

人が人を殺すことが悪であることに、いかなる宗教もイデオロギーも関係ない。一刻も早くガザでのホロコーストを止めさせよう。

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2009.01.11 (Sun) 16:11

ザイトゥン虐殺事件の真相・イスラエルの戦争犯罪生残りの証言

コメント by :

トラックバック from:米流時評

2009.01.17 (Sat) 07:16

【ガザ攻撃】BBC, ジェレミー・ボーエンの日記(1月26日)

コメント by :nofrills

“16歳のアハメッドは、死んだペットのことを話すときだけ、表情に動きを見せる。だがそのときでも、顔の表情はほんの少しだけしか動かない。瓦礫の山をアハメッドは指差す。「あれが僕の家でした。みんな、幸せにあそこで暮らしてたんです。イスラエルが撤退する前に、僕の家とか他の家を壊していったんです」

「ヤギが2匹いたんです。ロバも1匹。でも殺されました。イスラエル軍はハトも10羽殺していった。うちの雛鳥も殺してったし、雄鶏も1羽、それとアヒルも2羽殺されました。ハトとヤギは僕ので、あとは家族のものでした。……動物を殺すなんて意味不明じゃないですか。鳥が危害を加えますか。うちの白いハトは銃で撃たれてました……」

ペットの死のことを話すときにアハメッドの顔に少し表情が浮かぶのは、彼がガザ市で目撃した他のすべてのことを心から消してしまおうとしているからだ。”

このアハメッドという男の子が目撃したものについては、ボーエンのこの記事のすぐ後の部分で述べられています。12月からのキャスト・レッド作戦についてニュースを追ってきた方は、彼が目撃したという事件について必ず覚えておられると思います。

トラックバック from:tnfuk [today's news from uk+]

2009.01.28 (Wed) 17:16

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