2008.03.15

新しい通信:「ガザでの4人の死」

新しいナブルス通信を発行しました。今回は封鎖のなかで、適切な治療を受けられずに亡くなっていったガザの人たちの記録です。

「人権のための医師団(PHR)イスラエルは、以下、3人の女性とひとりの女の子の家族から聞いた話を伝えたいと思う。この4人が体験したことは、まさにカフカ的状況だと言っていい。そこでは、病気の苦しみと敵対的な官僚システムの残酷さが結びついて、それぞれの人生の最後の日々をいっそうつらいものにしている。」

      **以下、転送を歓迎します**   
    ○○○ナブルス通信 2008.3.15号○○○
           「ガザでの4人の死」
     http://www.onweb.to/palestine/ 
      Information on Palestine
      ────────────────────────────────
>◇暗殺攻撃は続く
 
停戦への努力がエジプトなどの仲介で行われていますが、イスラエル
軍はまた暗殺攻撃を行い、5人の命を奪いました。これから、どうな
るかはよくわからないというのが本当のところです。
 
チェイニー米副大統領がイスラエル、パレスチナを16日に訪問するの
で、その後で動きが出てくるかもしれません。
 
この間の動きについては、
 
「停戦か、最終計画か ほか」
 http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803112026.htm 
 
「汚水を海に捨てるしかない・ガザ ほか」
 http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803122246.htm 
 
「亀を救うイスラエル」(暗殺攻撃について)
 http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803141858.htm 
などを御覧ください。
  
*
 
ガザの封鎖により、適切な治療を受けられずに亡くなった患者さんが
107人になったというレポートがガザの病院筋から出ています。
 
そのような人たちのなかの4人のケースを「人権のための医師団」イス
ラエルが発表したので、それを訳し、お届けします。誰ひとり取って
も、絶句するようなことが起こっているとしか言えません。
[ナブルス通信]
 
────────────────────────────────
>◇ガザでの4人の死:誰のセキュリティなのか?
 
「ガザでの4人の死:誰のセキュリティなのか?」
 
人権のための医師団(PHR)イスラエル
2008年3月12日
 
Four deaths: whose security?
Physicians for Human Rights-Israel, 12 March 2008
 
ガザ地区の外の医療機関で治療を受けようとする患者が、出国許可が
得られなかったり許可が下りるのが遅れたりしたために死に至った
ケースが統計的にどのくらいあるのか、確定するのは難しい。死には
様々な要因がからんでおり、個々のケースで、許可の遅延・却下が、
最終的な死という結果にどの程度影響を及ぼしたのかを厳密に判定す
るのは極めて困難だからだ。しかし、許可の遅延が、患者の回復の
チャンスを減らしていること、可能な限り最善の医療を受ける患者の
権利を奪っていることに、疑問の余地はない。ガザでは、許可の遅延
は医療上の問題とはいっさい関係がなく、関係があるのは医療以外の
外的な要因である。この事実が、患者の権利の侵害を深刻なものにし
ているとともに、イスラエル秘密警察(シンベト)が使う「セキュリ
ティ」という言葉の定義に対する様々な疑問を引き起こしている。
ひとりひとりの患者にとって、出国許可が得られるか、拒否ないし、
いっさい反応がないかの間の違いは、生と死の違いに等しい。
 
もうひとつには、ガザに住む多くの患者が、イスラエルとパレスチナ
のボーダーの検問所の実状を知っていて、見込みのない出国許可申請
の手続きを試みるよりも、むしろパレスチナ内での死を選んでしまう
という事実がある。この大勢の人々の状況は語られることなく、その
声は誰にも聞かれることがない。
 
人権のための医師団(PHR)イスラエルは、以下、3人の女性とひとり
の女の子の家族から聞いた話を伝えたいと思う。この4人が体験した
ことは、まさにカフカ的状況だと言っていい。そこでは、病気の苦し
みと敵対的な官僚システムの残酷さが結びついて、それぞれの人生の
最後の日々をいっそうつらいものにしている。
 
ハディージャ・アル・アケド(65歳)は長らく心臓を患っており、
1990年代にイスラエルのベイリンソン病院でペースメーカーを入れて
いた。2007年の12月にペースメーカーが動かなくなって、急遽、アン
マン(ヨルダン)のアル・ウルドゥン病院で手術を受けることが決ま
り、1月21日に家族が、イスラエルがコントロールするエレズ検問所
経由でヨルダンに出国する許可の申請をした。パレスチナの専門医療
機関紹介局は、この要請をエレズ検問所のイスラエル当局に伝えたが、
緊急を要する事態であるにもかかわらず、返事が届いたのは1月30日、
しかも、その内容は「セキュリティ上の理由で」出国は認められない
というものだった。2月10日、アル・アケドは心拍が停止し、亡くな
った。
 
ファーティマ・マフディ(77歳)は、2007年6月、ガザのシーファ病院
で頚部に癌ができていると診断された。7月初めにマフディはガザを出
て、テルアビブ(イスラエル)のイキロフ病院で一連の検査を受けた。
結果は、手術が必要だということで、病院から、手術および術後の化学
治療と放射線治療のために8月に改めて来るようにと告げられた。8月
になって、マフディは治療のためにイスラエルに再入国する手続きを繰
り返したが、徒労に終わった。続けて5回、エレズ検問所に申請を出した
にもかかわらず、返事はいっさいなかった。マフディの状態は悪化して
いった。パレスチナの医師には痛み止めを投与する以外、なすすべがなか
った。2008年2月11日、マフディは全身に広がった癌のために亡くなった。
 
バイヤン・アブー・ヒルー(1歳)はガザのブレイジュ難民キャンプで
生まれた。両親は先に、2人の子どもを早い時期に肝臓の遺伝疾患でな
くしており、バイヤンも生後2カ月で同様の遺伝疾患を持っていると診断
された。2007年11月、バイヤンは両親に連れられて、西エルサレム
(イスラエル)のハダサー・エイン・カレム病院血液科に行った。バイ
ヤンがこれから生きていくための治療が始まった。第一段階の治療が終わ
ったのち、両親は医師たちから、次の段階の治療のためにできるだけ早く
再来院するようにと告げられた。だが、2度目の出国許可申請を行なった
両親は、パレスチナ専門医療機関紹介局に、要請はすでに「セキュリティ
上の理由で」シンベトに却下されていること、バイヤンには別の付添人を
見つけなければならないことを知らされた。当初の治療予約の機会を逸し
てしまったため、1月になって、両親は、改めてハダサー・エイン・カレ
ム病院での治療予約ができるよう助けてほしいと、PHRイスラエルに連絡
してきた。2008年3月3日の予約が確定し、バイヤンの父親は再び、パレス
チナ専門医療機関紹介局を通して、エレズ検問所に出国許可を申請した。
だが、返事が届く前、2008年3月2日に、バイヤンはガザで亡くなった。
 
ファーティマ・アル・ラダウィ(45歳)は、10人の子供の母親だった。
2007年9月、ハーン・ユニス(ガザ地区)のヨーロッパ病院で、外傷性
ショックで脾臓が内出血と炎症を起こしていると診断され、パレスチナ
保健省からの医療機関紹介を受けて、ナブルス(西岸地区)のアル・タ
ハッスーシ病院で手術を受けることになった。9月下旬、エレズ検問所で
イスラエル当局の許可が下り、ファーティマはナブルスに行くことがで
きた。しかし、アル・タハッスーシ病院では結局、必要な治療ができな
いことがわかり、ガザに送り戻されて、また新たな病院を探すことにな
った。適切な医療機関が見つかるのを待っている間にも、ファーティマ
の状態は悪化していった。病院が見つかったのは2カ月半たってからの
ことだった。
 
新たに紹介された病院は東エルサレムのマカセド病院だった。2007年も
終わり近くになって、ようやく治療に行けることになったファーティマ
だが、出発するはずだった日、エレズ検問所が閉まっていたためにガザ
を出ることができなかった。検問所が開いた時点で、ファーティマは改
めて東エルサレムに行く許可を申請した。しかし、今度は夫が同行する
ことをシンベトが認めなかった。ファーティマは付添人を別の者にして、
再度申請をしなければならなかった。こうして、予定より5日遅れてやっ
と、別の付添人とともにガザから東エルサレムに行くことができたのだ
が、マカセド病院で、必要な手術ができる設備が整っていないと告げら
れ、2日後にまたもガザに戻ることになった。そして、ガザに入る際に、
エレズ検問所で地下の取調室に連れていかれ、5時間にわたってシンベト
の尋問を受けた。次に紹介されたのはカイロ(エジプト)のマーヘド・
ナセール病院だった。だが、今度もまた障害が立ちはだかった。付添人
として義理の弟が同行することをシンベトが認めなかったのだ。ファー
ティマの病状は悪化する一方だった。
 
2008年1月、ファーティマはついにテルアビブ(イスラエル)のイキロフ
病院で手術を受けられることになった。しかし、今度はアメリカのブッシュ
大統領の来訪にぶつかり、大統領の訪問期間中、3日間にわたってエレズ
検問所が閉鎖されたため、出国は延期になった。許可が下りたという知ら
せが届いたのは1月20日になってからだった。ファーティマは車椅子に乗り、
呼吸さえままならない状態でエレズ検問所に着いた。ここで再度シンベト
の尋問を受けた。今回も数時間に及ぶ尋問だった。取調官はファーティマ
に、出国は医療のためであって、それ以外の目的はないことを証明せよと
要求した。結局、予定より10時間遅れて、ようやく病院に行くことを許さ
れ、その晩には入院することができたものの、すでに手遅れだった。翌
1月21日に、ファーティマはテルアビブのイキロフ病院で亡くなった。
 
セキュリティ――個人の安全は普遍的な権利であり、人権侵害を正当化する
スローガンとして用いられることがあってはならない。イスラエルと占領下
パレスチナのすべての人が生きていくための普遍的なセキュリティは、政治
的な手段によってしか、つまり、占領と、そのほかのあらゆる抑圧が終結す
ることによってしか、達成することはできない。
 

* 原文: http://electronicintifada.net/v2/article9390.shtml 翻訳:山田和子 ──────────────────────────────── ◇この文章は  http://0000000000.net/p-navi/info/  に掲載予定 (技術的な問題で一時的に「パレスチナ・ナビ」にアップすることが できません。解決したら、 http://www.onweb.to/palestine/  に アーカイブします) ──────────────────────────────── >◇Information 1 ジャーナリスト、広河隆一氏の40年のパレスチナ取材を凝縮したドキュ メンタリー映画「パレスチナ1948 NAKBA」がいよいよ公開されます。 「イスラエルが建国された1948年、70万人以上のパレスチナ人が難民と なった。動乱の中東の核心にあるNAKBA。隠された続けた歴史が、廃墟 と化し、地図から消えていく村々の徹底的な取材によって、いま姿を 現す。」 3月22日より、東京・渋谷・ユーロスペースにて上映開始 以後、大阪、名古屋、石川、岡山、広島、北海道、京都、神奈川、 松本、高崎、神戸、那覇などで順次公開。 予告編や詳細は以下より。 http://nakba.jp/ ──────────────────────────────── >◇Information 2 パレスチナ関連書籍の新刊が続々登場します。少しずつ紹介していき たいと思っていますが、この3月25日に発行されるのは、長らく待たれて いた早尾貴紀氏による『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民の アポリア』。(青土社、2730円) 「イスラエル国家が、戦後世界の新しい国民国家として創設されました。 しかしそれは同時に、先住パレスチナ人および世界中からの多様なユダヤ 教徒や偽ユダヤ教徒を含むモザイク状の移民国家でもありました。単一 民族の神話に開き直るのか、パレスチナ人との二民族共存国家を目指す のか。建国当時から現在にいたる、ユダヤ人思想家たちの矛盾をえぐり ます」 イスラエルを問い直すうえで、貴重な指摘がたくさん盛りこまれている と思われる一冊です。 http://www.seidosha.co.jp/index.php?published ──────────────────────────────── >◇P-navi info  [ボチボチ更新中。編集者ビーのblog。速報、インフォ、コラム] http://0000000000.net/p-navi/info/ ──────────────────────────────── ──────────────────────────────── (編集責任:ナブルス通信 ) http://www.onweb.to/palestine/

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