2007.06.24

レバノンで拷問を受けるパレスチナ難民

レバノン北部のパレスチナ難民キャンプ、ナハル・アルバレドで武装組織 ファタハ・イスラーム と戦闘を行っていたレバノン軍は21日に国防相が勝利宣言を行ったことで戦闘が終息するかに見えたが、ファタハ・イスラームは依然としてキャンプの奥深くに潜んでいて、戦闘はまだ続いている。23日(土)には、レバノン軍兵士が4人殺害され、レバノン軍はキャンプに対して激しい砲撃を行った。キャンプに平安が訪れて、避難している難民たちが戻ってこられるようになるのはいつのことか見通しがつかない。キャンプに残っている難民たちの安否についてもほとんど何もわかっていない。

戦闘の舞台となってしまったナハル・アルバレド難民キャンプから避難してきたパレスチナ難民のうち、男性を中心にレバノン軍によって拘束を受け、拷問やひどい扱いを受けているというレポートがいくつか入ってきている。

やっとのことで釈放されたムハンマドさんの告白を元に、何が起こっているかを見ていこう。

男性だけが連れて行かれ、言葉での虐待を受ける

銃撃戦と近隣の家をえぐる砲撃のためにキャンプ内に留まらざるを得なかったムハンマドさん一家がキャンプをやっと抜けだし、レバノン軍の検問所に着いたとき、ムハンマドさんは3週間に及ぶ悪夢がこれで終わると思った。しかし、ムハンマドさんにとってここからが別な悪夢の始まりとなった。

「戦闘をなんとか避けて妻と子どもたち、叔母とキャンプを出たんです。その途端に兵士が私たちを2つに分けました。女性や子どもたちは行かせて、男たちには手錠をしたんです」

男性たちは目隠しもされ、大きな軍用トラックに放り込まれたとムハンマドさんはいう。顔を上げることを許されず、上げると殴ると脅された。そして、兵士たちはパレスチナ人を罵り続けた。「オマエらの母親や妻を犯してやる」「オマエたちパレスチナ人は生きるに値しない。みんな虐殺されるべきだ」などと。

虐待の時間

ムハンマドさんはトリポリに近いコベー軍基地に連れて行かれ、昼夜の休みない質問を受けた。そこで釈放されると聞いたが、また、目隠しをされ、ベイルート郊外の国防省だと思われる場所へ連れて行かれた。ここでムハンマドさんは4日間を過ごす。

そこで男性たちは正座をさせられ、足を伸ばすと殴られた。2日後にムハンマドさんは尋問室へ呼ばれ、殴られ、ムチで叩かれた。「大きなムチに金属がついているのです。それで背中に跡がつきました」(→ Collective punishment of Palestinian civilians in Lebanon にムハンマドさんの背中の写真アリ)

さらに別の男性が入ってきて、頭部を蹴られたり、叩かれたりした。お腹を殴るのはやめてくれと頼んだら、お腹を叩かれたとムハンマドさんは言う。壁に叩きつけられ、床にも放り投げられた。

「中心人物は訊きつづけていました。『誰と一緒にやっていたのか?』と。私は誰ともつるんでいないと言いましたが、『オマエがやつらを助けたんだ、そこにいたんだからな』と言われたんです」

兵士たちは「もし[ファタハ・イスラームと]関係ないのなら、なぜ彼らを追い出さなかった?なんでオマエんとこのPLOは何もしなかった?お前たちが我々兵士をなぶり殺しにしたように、オマエも殺してやる」と言い続けていたが、ムハンマドさんは「何の関係もないんです。私たちは民間人で、殺しには反対です」と答え続けるしかなかった。

何時間も立たされっぱなしにされ、うつらうつらするとひっぱたかれ、電気ワイヤでショックを与えると脅された。そのうえ、ムハンマドさんの頭に銃が突きつけられ、「撃てるんだぞ、犬みたいにな」と言われることも起こった。

言葉での虐待が肉体的に傷つけられるのとほとんど同じように辛かったとムハンマドさんは言う。「もし、私たちが彼らに触れたら、その手を叩かれ、私たちは『汚い民族だ、犬だ』と言われたのです。」

5日後にムハンマドさんはトラックに載せられ、最初に連れて行かれた軍基地に戻され、そこで釈放されたが、そのときにも諜報部員はムハンマドさんに「オマエは犬だ、犬の息子だ」という言葉を繰り返した。[*イスラームでは犬は不浄な動物だとされている]

レバノン社会で無視されるパレスチナ難民の証言

ヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)のベイルート事務所にいるナディーム・フーリー氏は、拘束され、ひどい扱いを受けたバダウィキャンプにいるパレスチナ人たちの夥しいケースを文書にしている。

「殴られることから始まり、罪状なしでの拘束が4、5日間。若いパレスチナ人はレバノン中の軍の検問所で止められ、パレスチナ人だというだけでときに殴られるのです」

フーリー氏はナハル・アルバレド難民キャンプを離れたものがファタハ・イスラームのメンバーであるかどうかを調べるために、軍が尋問をする権利を認めているという。しかし、それは不法な方法や虐待的扱いをしない場合だけに限るという。

パレスチナ難民が虐待的な扱いを受けているために、ナハル・アルバレド難民キャンプを離れる場合だけでなく、他のバダウィ難民キャンプから出る場合にでさえ、パレスチナ人は怯えるような状態になっているとフーリー氏は言う。

レバノン軍は本当にこれらのパレスチナ人がファタハ・イスラームと関係があると思っているのだろうか?なぜ、釈放するのだろうか?という質問に、フーリー氏はこう答えた。

「軍は尋問を行い、そして釈放しています。つまり、パレスチナ人たちがファタハ・イスラームのメンバーであるという証拠がないことが明らかだということです。もっとも大切なことは、もし、彼らがグループのメンバーだったとしても、虐待的な扱いは正当化されないということです。」

しかし、レバノン軍の手による虐待や拷問に関するこれらの告発はレバノンでは人々の気を留めることがない。

パレスチナ人はともかくもファタハ・イスラームと共犯だという理解や70人を越すレバノン兵士の死が、残忍な内戦の記憶と連結してしまい、軍に対する白紙委任の支持という雰囲気ができあがっているためだ。レバノンの人々の多くは、ナハル・アルバレドへの軍による攻撃の背後で、前例がない仕方で連帯している。軍への連帯を示す集会に何千人もが参加し、「命令(秩序、order)はあなたのもの」とレバノン軍の言い回しを書いたポスターが沿道に翻っている。

地元のメディアもまた、レバノン人が軍にこの「秩序」を維持するために必要なことをなんでもしていいという無条件の許可を与えることに力を貸している。レバノン軍は記者たちにキャンプの近くのどこにおいても、また、検問所の周りでも撮影をすることを禁じた。ほとんどのレバノンメディアはそれに従っている。

レバノン軍の報道官は、これらの虐待の告発に対し、パレスチナ人は「嘘つき」であり、「我々は誰も傷つけていない、とくに民間人は」と応えた。

また、報道官は軍によってパレスチナ人が繰り返し連行され、ナハル・アルバレドキャンプを離れたあとに尋問を受けていることについてさえ否定した。何人ものジャーナリストが(撮影はできないながら)それを実際に見ているというのに。

作り出された憎しみ

拷問を受けたムハンマドさんは、この体験によってレバノンにいるパレスチナ人として喪失感と傷みが残ったという。レバノン軍によって自分たちが受けた不正義をパレスチナ人は容易に忘れないだろうと彼は言う。

「レバノン軍がパレスチナ人を扱ったやり方は、私たちのなかにレバノン軍への憎しみをいまや生みだしています」

この憎しみが報復をしてやろうと、[ファタハ・イスラームのような]グループに参加することを後押しするかもしれないとムハンマドさん。「それでいいんだ」と人々が言っているのを聞いたこともあるという。

「パレスチナ人の何人かは今、指導者たちでなく、レバノン人を民族として憎むようになっている。レバノンの軍隊がレバノン人とパレスチナ人の間に憎しみを今、作り出しているんです」

Collective punishment of Palestinian civilians in Lebanon Sophie McNeill, Electronic Lebanon, 22 June 2007より抜粋)*このレポートの中の氏名は、仮名になっているとのこと。


[パレスチナ難民がモザイク国家レバノンのなかで最底辺に置かれ、スケープゴートのような状態になっていることは、難民キャンプを舞台にした戦闘に何の躊躇もなかったことではっきりしていたが、それにしても兵士たちによる憎悪はすさまじい。ファタハ・イスラームとまったく混同されているかのような有様だ。これがどれだけ作為的に作られていることなのかが気になる。

このレポートの筆者ソフィーさん(レバノン在住、オーストラリア公共放送SBS-TVのDatelineのレポーター)自身が、ナハル・アルバレドのすぐ近くで撮影していて、逮捕され、このムハンマドさんより少し前にコベー軍基地に連行されていたそうだ。外国人のレポーターとして最高度のよい扱いを受けた──イタリアン・エスプレッソなどを供されて──ソフィーさんは、通された少佐の部屋で興味深いものを見たと書いている。それは壁にかかっていた修了証書であり、その少佐が米国中央司令部プログラムを終え、米軍の「質問、聞き出し」コースを修了したことを示していたという。

また、ソフィーさんは、ムハンマドさんへのインタビューと彼のケガを収録した映像を無料で提供すると、レバノンのいくつものテレビ局にもちかけたが、どこもそれに反応しなかったという。政府に対して批判的なレポートをしていることで有名なニュースエディターは、「ファタハ・イスラームとテロ攻撃を防ぐことについては、軍はどんな権利も持っているんだ」と語ったという。ヒズボッラーのアル・マナールTVではもう少し同情的で「これを放映したいんだが……しかし、今の時点では軍に何であっても反対することを言っていることは見せられないんだ、とてもセンシティブなことなんでね」と語ったそうだ。

まるでツインタワー崩壊後の米国のミニチュアを見ているようだ。]

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■ コメント&トラックバック (3 件)

女性も拷問されました

コメント by :ぶんぶん

   5月18日からバダウィ・キャンプにいる夫の話では,攻撃が始まった5月20日から数日の間は,男性だけでなく,女性もキャンプから出ようとするとレバノン軍につかまって拷問を受けたそうです。
   その頃は,ナハルエルバレドだけでなく,隣のバダウィ・キャンプもレバノン軍に包囲され,キャンプから出ようとすると兵士につかまって尋問されたそうです。あるバダウィ・キャンプの女性は,キャンプを出ようとしたのか,それとも外出していて状況がわからなかったのか,キャンプ周辺の検問所で拘束され,そのまま数時間にわたり尋問を受けたそうです。時にはビニール袋を頭からかぶせられてひどい言葉を浴びせられたと言います。尋問は数時間だったそうですが,女性がバダウィ・キャンプに帰ってきて,人々にその話をしたので,誰もキャンプから出ようとはしなくなったそうです。
   キャンプ内に閉じこもっているファタハ・イスラムを攻撃するための作戦のはずなのに,キャンプ外にあるパレスチナ人の友人の家が破壊されました。割と大きな家で,大きな庭がありました。葡萄の木がたくさんあって,友だちが直接つみとってくれたものです。それが,今はあとかたもないそうです。初めからパレスチナ人全体をねらっているような気がします。

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2007.06.25 (Mon) 07:57

コメント by :Old Liberalist

なんとも痛ましい話ですね。
どうして人はより弱い立場の人間に対して情け容赦のない暴力を振るうようなマネができるのか・・・・・しかも、軍隊や警察のような暴力装置より、一般の民衆の方が精神的には残酷かもしれない、というところが、ますます救いようのないところです。

それにしてもこの事件は不可解です。もし戦闘が伝えられるほど大規模なものだとすると、今回の事件を仕掛けた勢力は、相当な時間と手間と金をかけているはずです。

しかし、レバノンを巡るどの勢力もこれにかかった手間ヒマに見合った成果が得られるとは思われません。

以前の分析で、米国がイラクでの失地回復のために積極的に影響力を行使している可能性が示唆されていましたがこれはないのではないですか。直接戦って損害を受けているイラクと間接的に地元軍が戦っているレバノンでは重みに差がありすぎでしょう。

考えられるのは、小さなテログループが暴発したのをレバノン軍がTake chanceして大規模な攻撃であるかのようにframe-upし、目障りなパレスチナ人を徹底的に叩いた、というくらいでしょうか。これに米国とイスラエルが乗っかって政府支援を行っている、という話だと理解できなくはありませんが、それにしてもおかしな話ですね。

いずれにせよ、パレスチナ人が最も傷つき、割を食うという点は間違いのないところなのかもしれません。

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2007.06.25 (Mon) 23:21

レバノンのパレスチナ難民

コメント by :ビー

>ぶんぶんさん、

女性も拷問されたことは知りませんでした。あまり語りたくないことなので、外に出てこないんでしょうね。上の男性(ムハンマドさん)もやっと口を開いてくれた人物だったとありました。レバノン軍がどれだけ故意に周辺も攻撃しているのかはわかりませんね。何の配慮もないだけなのかもしれません。(ということがヒドイのですが…)。

>Old Liberalistさん、

「小さなテログループが暴発したのをレバノン軍がTake chanceして大規模な攻撃であるかのようにframe-upし、目障りなパレスチナ人を徹底的に叩いた」ということだと思いますよ。これはアブハリル教授もほぼ同様のことを言ってますね。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200705252114.htm

それにしても、レバノンにおけるパレスチナ難民の状況は前から最も過酷でしたが、この攻撃でさらに露骨になったと思っています。こんなままにしておいてはいけないと思うのですが、今回の攻撃のことでもそれほど注目されていないのが現状で、心が痛みます。

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2007.06.30 (Sat) 00:31