2007.01.23

ターリ・ファヒマ釈放「私の罪は暗殺に抗議したことだった」

西岸のジェニンに通い、アル・アクサー団の幹部らと親交を結んで、逮捕されていたイスラエル人女性、ターリ・ファヒマさんが2年半の拘留を終え、1月上旬に釈放された。この2年半のうち、9カ月は独房に入れられ、一般には認められているテレビも本も取り上げられている状態に置かれていたが、ファヒマさんは釈放後、「後悔はしていない」とメディアに語った。

ファヒマさんは当初、イスラエル人としては珍しく、裁判なしの「行政拘束」に置かれ、その後、「テロ活動の支援をした」という罪状が科されそうになったが、結局は西岸でイスラエル兵士が落としていった作戦についての書類を「敵」に「翻訳した」ということが罪となっていた。(とはいえ、その「敵」である人間はヘブライ語を読み書きできたので、罪状にはほとんど意味がない)。

「私の罪の第一はシンベト(国内諜報機関)に協力するのを拒否したこと、第二にはパレスチナ人に会いに行くと主張したこと、第三にはイスラエルの暗殺政策に抗議したことなのです」

と、ファヒマさんはガーディアン紙に語っている。

ジェニンで子どもたちのための活動をしようとしていたファヒマさんは、ジェニンのファタハ系アルアクサー団リーダー、ザカリヤ・ズベイディと知り合い、ズベイディが何度も暗殺攻撃に遭っていることを知るや、自分がズベイディの「人間の盾になる」と宣言をした。

パレスチナ人を支援するイスラエル人はいても、団体に属さず、一個人でこのように行動した人はいない。それでファヒマさんは逮捕され、長期間の拘留を受けるような目に遭うことになった。

一日16時間も手錠をされた手をイスに結ばれたままで座らせられ、「良いユダヤ人」になるようにと尋問を受け続けたファヒマさんは、

「私はシンベトの性質を学びました。彼らが私たち、イスラエル人とパレスチナ人をどのように脅すかを知りました。また、私は政府の本性を学びました。私たちの名のもとで行われていることを彼らがいかに見せたくないかということを」

と、体験を振り返って語っている。

「彼ら[政府、シンベト]は私を敵として扱いました。なぜなら、私は彼らが懸命に作り上げた壁を壊したからなんです」

ファヒマさんの釈放の条件には、ジェニンに行かないこと、ズベイディと接触しないことというのがつけられている。それを破るつもりはないとファヒマさんは言う。しかし、テルアビブにいて、ジェニンの子どもたちの生活を良くするために活動を続けていくと彼女は語った。

イスラエル人とパレスチナ人のあいだに作られた「壁」を超える行為をまだまだファヒマさんは続けていくらしい。

Israelis show support for Tali Fahima MATTI FRIEDMAN, Associated Press Writer、Thu Jan 11、 'My crime was to protest at Israeli assassinations' Conal Urquhart 、January 5, 2007、The Guardianより)


[ファヒマさん、おめでとう!見せしめのように逮捕されたファヒマさんが貫いた強い信念を見て、私は尊敬の念を覚える。かつては「パレスチナ人の追放を支持していた」というファヒマさんが、自分で現実を見ることで変わったことにも勇気づけられる。そうやって自分で変わっていった人を、国家が力ずくで抑えつけても変えることはたやすくないのだ]

ファヒマさん関連エントリ:

「行政拘束」されるイスラエルの活動家 (2004年9月)

一線を超えたイスラエル人 ─ターリ・ファヒマさんへのサポート要請 (2004年9月)

もうひとりのアルナ──イスラエルで初めて行政拘留された女性 (2005年10月)[ジェニン難民キャンプの人々からターリへの手紙つき]

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