2006.07.01

ラファからのメール:「昔に逆戻り」寺畑由美

2003年の5月からガザ最南端の町、ラファのブラジル地区に住み込み、活動しているNGO職員の寺畑由美さんより、イスラエル軍が間近に侵攻してきたラファの様子を知らせるメールが届きました。停電の合間を縫って、綴られたレポートです(原文は英語: Back to the Ole Days )。

寺畑さんは、「地球のステージ(本部・山形)」という日本のNGOの職員で、現在、ラファの国境線沿い周辺に住んでいる青少年を対象にした心理社会活動をしています[地元では「フロントライン」という団体名で知られている]。[ナブルス通信]

「昔へ逆戻り」 寺畑由美

……6月28日、午前2時30分。迫りくるブルドーザーと戦車(それもたくさん)のうなり。頭上を戦闘機が金切り声をあげて飛び過ぎる。国境近くに住む人々は、夜中に子どもと身の回りの品をいくつかかきあつめ、家を出て、徒歩で急いで町の中央へ向かう。たぶん、そこのほうがいくらか安全なはずだ。国境からかなり離れた「安全」な場所に暮らす人たちは、家にこもり、イスラエル軍の動きを刻々と伝えるテレビやラジオにかじり付く。戦車砲の厳しい鳴動が聞こえてくる。この夜、眠りについたものはひとりもいない。……

…ええと、ひとりもいないって、私以外には誰も。私はといえば、のんきなことに、まわりのことには何一つ気付かず、扇風機のぶーんという音を耳に、乗る予定の飛行機に遅れるという平凡な悪夢をみていたのでした。私がドアをノックする音で目を覚ますと、そこには、スタッフのひとりのイスマイールがいて、目をしょぼつかせながら、その夜起きたことを話してくれました。

なんてことでしょう。私は、ここ、ラファに暮らして3年間になるというのに、またひとつ、イスラエル軍の侵攻があったというのに、眠りこけていたのでした。私のオフィスに入ってくる人たちが、口々に「一睡もできなかった」って言うので、私はますます後ろめたくなるのでした。

私たちは少女たちに連絡をとり、今日はサマー・キャンプに出かけられなくなったことを告げ、なるようになる、事態が落ち着けば、来週には平常の活動ができるようになるでしょうと伝えました。私はいつだって、楽観的なんだから。

コーヒーや紅茶を山ほど飲み、ラジオのニュースの速報に耳を傾けたあと、私はスタッフと一緒に、イスラエル軍が陣地を構えたところへ、安全な限り近寄って見ることにしました。私たちは、長い間使われていないガザ空港のほうへ向かい、眺めのきく小高い丘の近くで車を停めました。火災の様子や被害を覗くため、煙に向かって突っ込んでいく若者たちと、私も変わりませんね。私がデジタル・ビデオでズームすると、イスラエルのブルドーザーが一台、地面を掘り返しており、戦車が一台、そのうしろで警戒しているのが見えました。私はジャーナリストではありませんが、三脚をもってくれば、ぶれないショットが撮れたのにって、地団駄踏みました。帰り道では、いくつかの家族が、衣類や必需品を抱え、町のほうへ向かって歩いていくところを見かけました。

家に戻ると家主から、屋根の上のタンクの水量が心細くなっていて、いつになったら補給ができるのか分からないので、これからはなるべく節水するようにと言われました。トイレを流すのも、今となっては、時々しかできないぜいたくになるでしょう。アパートに入ると、停電に気がつきました。ラジオで、それぞれの地区に1日あたり6時間まで送電できるようにするという市当局の発表を聞きましたが、電気のくるのがいつになるのか、きたとしてもいつまで続くのかは分かりません。私は、ろうそくを買いに行きましたが、店に残る最後のパックを2つ(合計10本)だけしか買えませんでした。こういう知らせはぱっと広がるものですね。

6月29日。前日とあまり変わらず。また、待つばかりの一日。

当分の間、食料の心配はありません。ひとり(と猫一匹)暮しですし、なんとかやっていくのに、食料も水もあまりたくさんはいりません。しかし、これが8人、10人、15人の大家族で、節約なんてことが理解できない小さな子どもがいたら、イスラエルの侵略が長引くにつれ、家族をどうやって食べさせていくか、母親たちは心配になることでしょう。

午前、午後、夜。通りは昨日と同じで、人通りがほとんどありません。人通りが絶えているのは、事態の進展に憂慮しているのか、酷暑のためなのか、分かりません。停電のおかげで、自分自身の流す汗でげっそりする以外、やることはあまりありません。テレビがつかないので、気を紛らわせたり、情報をつかんだりすることもできず、もっと深刻なのは、扇風機が動かないので、じっとりとした空気で窒息しそうだということです。でも私は運のいいほうです。私のアパートは、近所でいちばん高い5階建ての建物の最上階で、バルコニーに出れば涼しい風が吹いています。狭苦しい難民キャンプにある何千もの家では、アスベストの天井が太陽の熱をすっかり吸収し、住民は生きたまま料理されているようなものです。そこに住んでいないこと、そして、たった今、そこを訪ねていないことがとてもありがたく思えます。

私がこれを書く間にも、また、ソニック・ブーム。 ソニック・ブーム(衝撃波) 。これは「恐ろしくって、腰が抜けるところだった」なんて、使い古された言葉でしか、表現することができません。これまでのところ、私には「馴れてしまう」なんてことは考えられないものです。どれだけ経験しても、経験する度に神経がこなごなになりそうです。衝撃音が耳をつんざき、身体が突然萎縮し、静脈という静脈は身体から飛び出そうとし、皮膚のおかげでかろうじて押しとどめられている、そんな感じです。静脈が皮膚に脈打つのさえ感じるような気がします。

私は待ちます。 私たちは皆、これからどうなっていくのか、待ち続けます。

翻訳:リック・タナカ

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■ コメント&トラックバック (2 件)

パレスチナが取るべき道 その2

コメント by :

トラックバック from:In the Strawberry Field

2006.07.02 (Sun) 02:51

無知は自覚できないのか

コメント by :とんがりこーん

上のトラックバック、「パレスチナの取るべき道」その1や自己紹介も読みました。
アメリカ批判に見られる無知と誤解にいらだっていらっしゃるとのこと。
しかし、「パレスチナがオスロ合意を素直に受け入れていれば、10年も前に独立国家を手に入れていたのに」なんていうのは、いちばんありがちな無知と誤解です。この人は、オスロ合意の正確な中身も当時の背景も、まったく知らないで偏見だけで書いていることが露呈しています。
「完全に間違った角度からの分析だと最初にその間違いをただしてからでなくては議論がなりたたない」(苺畑自己紹介より)をそのままお返しします。

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2006.07.02 (Sun) 09:35