2005.09.13
[完成]ガザからエジプトに自由に行けた!─束の間の往来
[13日の遅くに、エジプトとの国境を越えて、ガザの人々がどーっとエジプト側に出かけているというニュースがどんどん入ってきた。ところが、記事ごとに状況がばらばらで何が起こったのかわからない。ある記事には「イスラエル軍の建てたボーダーの壁をはしごでよじのぼり」とあり、ある記事には「冷蔵庫を抱えて戻ってくる人」が書かれているという有様。当分はエジプトとの国境は閉鎖されているのじゃなかったのか?と頭を抱えてしまったが、やっと全体像が少し分かってきた。以下、15日にまとめ直したもの]
イスラエル軍がガザから去った月曜日(12日)から水曜日(14日)にかけて、ガザの人を閉じこめていたエジプト国境に異変が起こった。ガザの人々がどんどんと国境を越えるべく集まってきた。この国境管理はイスラエルのコントロールがどうなるか、政府レベルで決着がついていないままになっていて、当面は閉鎖されるということになっていたはずだった。
が、ガザの人々は国境の町、ラファにイスラエルが建てた7〜8メートルの鉄の壁にはしごを掛け、よじ登り始めた。
「壁をよじ登る人々、わずかな隙間をこじ開けて体をねじ込む人たち (太ったおっちゃんが通過できずに悔しそうであった)を後に、しばらく壁沿いに歩いていくと、驚いたことに壁が取り払われ大開放されていて、皆が堂々と通過している。皆、何のチェックもなしに、嬉々としてエジプトに向かっていく。じいちゃんも、おばちゃんも、ちびっこも、兄ちゃんも。エジプト側からも、ガザにやってくる。」( 「脱力三連発」 「つつがある日々」より)
とは、当地にいるLusinさんによるレポートだ。つまり、なし崩し的に国境は開放されたのだ。エジプト側も人数の多さに諦めて、通過を黙認したという。(この是非はおいておき、そこで展開された様子を以下で伝える)。
APによると、最初はラファの人々が国境で離ればなれにされた親戚──ラファの街は国境線でエジプト側とパレスチナ側に分断されている──を訪ねに国境を越えたという。しかし、国境を抜けられるということがガザ中に広まり、さらに多くの人たちが押しかけ、安く手に入る品物を商売のために買ったり、エジプトを見聞にでかけたり、フィーバーが始まったという。
「父親たちは子どもたちを持ち上げて壁を越えさせ、ティーンの少年たちは高齢の女性たちを押し上げていた。制服を着たパレスチナの少女達は手をつないでエジプトの野原を歩き、その傍らでは密輸した商品でいっぱいのカートを男たちが押していた。
「僕たちはビールを飲んで、魚を食べたいと思っているんだ。ちょっと楽しんで、戻ってくるよ」と行ったのはガザ市から3人の友人とやってきたアリ・ビルベーシさん(27)。「楽しかったら、戻るのは明日になるかもね」ビルベーシさんが言うには、彼の父親はラファから25マイル離れたエジプトのリゾート、エル・アリシュで楽しんでいるという。トラックやタクシーに乗ったパレスチナ人たちの多くはそこを目指している。」(AP)
このリゾートタウンの地中海沿いのレストランで、多くのパレスチナ人が魚介料理に舌鼓をうっているらしい。
封鎖されていて産業が育たないパレスチナは、イスラエルの製品に溢れているが、エジプトではもっと安いものが買えるので、エジプトに行った人々は買い物にも余念がない。もちろん、商売のために買い込んでいる人々もいる。みなが買い込んだものは、タバコを筆頭に、チーズ、粉ミルク、ビスケット、ガソリン缶、カーペット、漂白剤、蛍光灯、ミキサー、ナッツにコーラなど。さらに冷蔵庫を押して帰った人や数匹のヤギを持ち帰っていた人もいるとAPは書いている。
妻と子どもたちを連れて、エジプトにでかけたフセインさんはものの値段が上がっていたことをぼやきつつ、魚を詰めたクーラーバッグを手に家路についた。
「フセインは新鮮な魚を家に持って帰るのだといった。「イスラエルは我々の漁師たちに海辺から先に行くことを許していないんだ。だから、十分な量の魚を捕れないし、それは適当な値段にもならない」とフセインは説明する。彼の娘たちは満面の笑顔で、バッグのなかの「メイド・イン・エジプト」のチップスを見せた。
「これは私たちがそこにいたことを証明してくれるの。私たちは人生で初めてパレスチナの外に旅行したのよ。それをこれが証明してくれるの。」と末っ子のラニナは言った。」(AFP)
国境で切り裂かれて、離ればなれになっていた親族が再会するという場面も見られている。
「ある男性はエジプトからやってきた妻を抱きしめて、涙をこらえていた。
「神に感謝を。私は彼女をみつけました」と男性は小声でつぶやいた。エジプトからやってきた3兄弟はガザのハンユニスへ行く途中で、生まれて初めていとこたちと会い、抱擁を繰り返した。
国境ではパレスチナ人と結婚したエジプト人のドラヤ・イスマイルが娘を抱きしめて泣いていた。もう7年も娘たちや孫に会っていなかったのだ。」(AP)
大方の人々が国境が開いて調子に乗っているときに、それを批判するパレスチナ人の意見も出ている。ガザ人のムハンマド・ハメッドさん(50)は
「無秩序は恥ずべきものだ。この混乱を私は止めたいね。良識ある人はこれをいいとは思えない」と語ったという(AP)。
☆
この国境開放の事態にイスラエル政府はエジプトとパレスチナを「まったく監視ができない」と強く非難。この間に武器が「密輸」された可能性があると怒っている。
エジプトとパレスチナ自治政府もこの事態を受けて、水曜の夕方には国境を閉めるという決定を行った。しかし、あまりにも多くの人が通過していたため、真夜中まで閉鎖は延長された。なお数日はこの状態を落ち着かせるのに必要だとしている。
Lusinさんが書いていた「世界が注目しているときに、なんでもっとちゃんとしないんだ?!」ということは私も思う。まったく脱力させられる自治政府とエジプト軍…。(何かこの脱力ぶりがじつにパレスチナっぽいとは感じる。)
ただ、ここで繰り広げられている状態を見ると、今までどんな目に置かれていたのかがよくわかる。
占領者の作る高額の商品を買うしかない環境。親族、妻や子どもにまで会えない国境の壁。地中海に面していても、魚すら自分たちのものにならない制限。とにかく「自由」が奪われ続けたこの38年。
ガザの人々は、この先のことは信頼できないから、この一時にかけて「今しかない」と束の間の自由に浸ったように思えてならない。イスラエル軍と違い、エジプト軍は大量のパレスチナ人を殺せないと見切った眼力もじつはけっこうすごい。(一人だけパレスチナ人が国境で数日前に射殺されていた)。
外国のメディアがこの事態を「ほら、パレスチナは…」とこれみよがしに混乱を強調して書いているにしても──しがない商品の運び込みすら「密輸」と書かれてしまう──、私はパレスチナ人たちが求めていた自由の息吹を束の間感じることができた。
本当は普通に国境を行き来できる自由が得られていいはずだ。
今なら見られる写真(1ヶ月ほどで見られなくなります):
「とにかく越えたい」 (わけがわかんない)
◎印象的な写真 国境の壁の穴を抜ける (シュール!)
◎印象的な写真 エジプトへ抜ける壁の穴をくぐろうとする男性 (悲愴…)
◎印象的な写真 海岸のエジプト国境前で座っている漁師たち
参考にしたソース:
"Gaza residents stream into Egypt"
"Egypt, Gaza Residents Freely Cross Border"


