2005.08.23
「ガザからの撤退」 ガザのおかんたちによる乗っ取り
ガザ市に自治政府が置いた「撤退」期間中のプレスセンターでは、パレスチナの著名な政治家、アル・キドワの記者会見が始まるのを、たくさんの西洋の、そしてアラブのジャーナリストが待っていた。
PLOの国連代表を務めていた間に格好が洗練されたアル・キドワ外相は、この日ネービーブルーのスーツを着込み、アフターシェーブの匂いを振りまきながら、自分の登場を見計らっていた。カメラマンはセッティングの最終調整を仕上げ、「パレスチナの代表」が世界中の夕方のニュース素材のために意見を述べる手はずは整った。
そのとき、15人ほどの中年女性の一団がスローガンを唱えながら、プレスセンターになだれ込んできた。めいめいの手には若者の写真。動揺がプレスセンターのスタッフとキドワのイエスマンたちに広がった。
女性たちを無視するジャーナリストがいる一方で、彼女たちを撮影しだしたジャーナリストもいた。その中の一人が演台で話し始めたとき、笑い出すジャーナリストもいれば、演台前を歩いているジャーナリストもいた。
「私の名前はウンム・イブラヒーム(イブラヒームの母)。息子は27年の刑を受けて、監獄に20年入っているんだよ。ここ10年は会うことさえできないでいる。ここのみんなは「撤退」を語って、祝おうとするけれど、私らはちっとも嬉しくない。……私らは闘いのために自分を犠牲にした囚人の母親や妻だから。名誉を讃えられても、囚人たちのことは忘れられ続けている。……」
( "Real News: Disengaged in Gaza" (Toufic Haddad, The Electronic Intifada, 22 August 2005)より、ごくざっと紹介)
ガザのおかん達、やるなぁ。よほど腹に据えかねていたのだと思う。このおかん達は、8月18日にガザ市のメディアセンターの入り口でサイレント・ビジルを行っていた。プラカードには「私たちの土地の解放のために代価として自分の自由を差し出した者たちに自由を!」と書いてあったという。
このウンム・イブラヒームの自発的記者会見の最中に笑ったり、おしゃべりをしたりしているジャーナリストもいたという。だが、おかんは続けた。
「駐米大使だったナセール・アル・キドワよ、恥を知りなさい。私たちがセンターの前でビジルをしているから、あんたは私たちを見ないでいいように裏口から入ったんじゃないのかい?あんたの息子たちはみんな最高の学校に通い、自分の名前を付けた会社も作った。私たちの息子はこの土地と人々のために自分の人生を犠牲にしているんだよ。彼らのことはあんたにとって聞くに値しないことなのかい?パレスチナ人を除いて、全世界は人権を享受している。アメリカでは動物の権利を闘っている人さえいるというじゃないか。でも、ここでは私らは動物以下だね」
おかんは「アブマーゼン(アッバス)も恥を知れ、投票したことを悔いているよ」とも言い、ジャーナリストたちにも釘をさした。
「あんたがたレポーターたちは、私たちがビジルをしても、ハンストをしても、私たちを無視するだろ?ただ写真を撮って見栄えが良かったら、それを使うのさ。私らにインタビューをしても、私たちの言ったことをけっして放送しないんだ」
演壇から降りたウンム・イブラヒームは頭のスカーフを直し、刺繍をほどこした赤い農婦のドレスを見せながら「私の言ったことは間違っているかい?本当だろ?」と言ったという。
ところで、キドワ外相はどうしたかって?これはガザの女性ジャーナリスト、ライラがこう書いている。
「この話のおちはこうだ。──キドワは姿を見せなかった。イスラエル入植者たちの後を追って、彼は自主的にガザを撤退したのだ。心をかき乱した女性たちに強制的に排除される前に──」
いや、ほんと、キドワは姿を見せず、建物を去っていたという。プレスの半分も去っていった。残った人々は「何のためにここへきて、時間を潰したんだ」と言っていた。一握りのアラブのレポーターたちだけが女性たちにニュース記事を書く約束をし、夕方のニュースで放映をしたという。
参照:
"Hijacked" (Raising Yousuf: a diary of a mother under occupation)
"Real News: Disengaged in Gaza" (Toufic Haddad, The Electronic Intifada, 22 August 2005)写真もあり。


