2005.08.23

「入植者たちがやって来て…」あるガザの家族の回想

とうとう残っていた西岸の小入植地2つでも、大したトラブルなく住民が追い出された。女性兵士がナイフで負傷させられるなど、いくつかの小競り合いとそれなりの逮捕者は出ているが、懸念されていた大混乱は起きなかった。

最後まで残っていたのは外からの応援組が主で(ほとんどがカハ主義者か「ヒルトップ・ユース」の若者たち)、元からの住民は早めに退去した人も多かったようだ。これでシャロンの「撤退」作戦は終了。現金なことにリクード党ではシャロン支持派が巻き返して、「撤退」に反対したネタニヤフ支持派を8ポイントほど上回っている。

ガザのデイル・アル・バラーで、入植者たちと付き合ってきた老人が入植の始まりを回顧している。

「私が話を聞いた高齢の男性、ハッジ・アリはガザに住むために最初にユダヤ人入植者がやってきたことを回想して語った。どんなふうにアリが彼らをご近所さんとして迎え入れたか──お茶をだして、ディナーをともにして。

「わしらにはそれがこんなふうになってしまうなんて思いも寄らなかったんだ。機嫌良く迎えたんだよ。親切やホスピタリティをもってね。それにどうやって彼らが報いたか。」

ゆっくりと──ハッジ・アリは言った──入植者は次から次にやってきた。その入植者たちとともに軍の要塞ができた。次には狙撃塔。その次には戦車。アパッチヘリ。そして、入植地に囲まれたアリの80ドゥナム土地が彼と彼の家族には立ち入り禁止になった。インティファーダのこの4年間、彼と妻、そして近くに住む娘家族はひどく苦しめられることになった。

イスラエル兵はときおり家を襲撃し、家族を寝室から追い出して、替わりに自分たちが寝るのに使った。家族は一階のタイルの床にマットもなしに寝るしかなかった。寝室には排泄物が残されていた*。兵士たちが入植地に戻るときには、アリの息子が道すがら頭に銃を突きつけられて、「人間の盾」として連れて行かれることがあった。

「私たちは悲惨でつらい日々を送っていたんです」
とアリの妻は回想する。

明らかにまだ過去のトラウマから抜けられていないアリの娘は、私に屋上に置いてある古い洗濯機に近づけないことを語った。実際に自分の服を洗うのに、彼女は「軍の掃除」**をしなければならかたったのだ(おかしいけれど、本当のことだ。その替わりに彼女は新しい洗濯機を買うことにした。)

彼女は結局─2、3ヶ月以内で─家を出ていかなければならなくたった。というのは、ずっと続いている砲撃によって、双子の息子のひとりが深刻な心理的問題を抱えてしまったからだ。無意識の失禁、泣き出す発作、おかしなおしゃべり。近所の人が彼女の家が──それはじつにヴィラというのにふさわしいものだ。一家は家を建てるためになけなしのお金をつぎこんでいた──取り壊される心配を彼女に説得して、移住させた。

彼女はキッチンの窓からすぐ向かいにいまだに立っている狙撃塔が実際に取り除かれるのを見るまでは、本当に「撤退」を信じることはないと言う。この狙撃塔によって、家の片側に家族は5年間近づくことができなかった。

私たちがしゃべっている間に、彼女の息子はここ数年で初めて、家の横の空き地でサッカーをした。今は撃たれる心配もない。」

"Seeing is believing" (Laila El-Haddad,August 23, 2005)より抜粋)


* 兵士たちが占拠していた場所に排泄物を残していくというのは、非常に広く伝えられている。2002年春の侵攻の際も、ラッマラーの文化センターをはじめ、多くの場所から排泄物被害が報告されている。

** 意味がよく分からない。"“military clearance”" となっていた。兵士たちの後かたづけをして、洗濯もしなければならなかったのか、洗濯機にもう○○がされていたのか……。

ガザ在住ジャーナリスト、ライラさんが伝えたガザの家族の様子に、少なくとも今からはこんな苦しみを味わうことがないだろうとほんのちょっぴり「撤退」を嬉しく感じた。でも、これまでのことがひどすぎたということだけなのだが。

トップページインデックス | 関連カテゴリー ニュース

■ コメント&トラックバック (1 件)

軍の排除?!

コメント by :田仁

家の半分に、狙撃の危険性から、移動できないでいた事と併せて考えると、古い洗濯機は「危険な半分」に置いてあったのでは?!単なる推理ですが。「排除」はレトリックで撤退の意味ですか?

トラックバック from:

2005.08.25 (Thu) 23:59