2005.08.22
「撤退」に対するイスラエル平和活動家からの肯定的視点
イスラエルの平和団体、グッシュ・シャロームからメールが届き、代表のウリ・アブネリが「撤退」を大きな一歩だと評価する文章が載っていた。異論もあるが、一理あると思う箇所も多々含まれているので、紹介してみたい。
まずはグッシュ・シャロームが出した短いコピー:
「今、誰もが知っている
入植地は撤去できるということを!悪夢のようなシナリオはやってこなかった。「撤退」を阻止するために、群衆はグッシュ・カティーフ[入植地群]に殺到しなかった。
ナショナリストの救世主セクトは孤立したままだった。
イスラエルの民主主義の強さが証明されたのだ。
シャロンの意図とは反対に、これは明日に向けてのレッスンになる。イスラエル国家が西岸の入植地を撤去すると決めたときに向けての。長期的に平和のうちに普通の人生をおくることができるようになるために──」
ウリ・アブネリの文章も基本的にはこれと同じことを言っているが、要旨と、もう少し部分的な詳細を見てみる。
「小さな一歩はイスラエル国家にとって偉大な一歩だ」ウリ・アブネリより。「真実は西岸において入植地の建設がフルスピードで進んでいることだ」としながらも、アブネリはそれでも消し去ることができない意義あることが起こったとしている。
「入植地は取り去ることができると証明されたのだ。それらは取り去られねばならない。そして、事実取り去られた!」
ずっと増える一方であり続けた入植地がイスラエルの歴史の中で、初めて実際に取り去られたことをアブネリは評価している。そして、これがイスラエルの平和運動のひとつの結実だったと見ている。
かつてアブネリは国会議員だった時代に、当時のゴルダ・メイヤー首相にこのように食ってかかったことがあったという。
「すべての入植地は平和への道に置かれた地雷です。その行程でこれらの地雷は取り除かねばならないんですよ。私が元兵士としてあなたに言いたいのは、地雷を取り除くのはじつに不愉快な仕事だってことです」ちょうど、イスラエルが入植活動を始めた時期のことだ。
この「地雷」の除去が初めて実現したことにアブネリは感慨を持っている。が、同時にある種の怒りもまた表している。
「今日、私が怒り、深く悲しみ、苛立つとしたら、それは私たちみながこの[入植地という]事業のために支払った代価のせいである。イスラエル人とパレスチナ人、何千人もがそのために殺された。何百億シェケルの大金がどぶに捨てられた。……土地と水を盗まれ、家を壊され、木々を引き抜かれたパレスチナ人たちの苦しみと身の上に降りかかった破壊に対する怒り。それらはこれら入植地の「安全」のために行われたのだ」
アブネリは国家の方針に振り回された入植者たちにも同情を示す。
「……彼らは救世主的イデオロギー(「これは神の意志だ」)か、または経済的な魅力(「芝生に囲まれた瀟洒なビラ、どこでその夢を叶えることができますか?」)によって誘惑された。多くの人は、貧困と失業に襲われているネゲヴ[砂漠]の辺鄙な町からこれらの誘惑によって圧倒されてやってきたのだ。しかし、甘い夢は消え去った。それらは終わったのだ。みな新しく人生をスタートさせるのだ、寛大な賠償金を持って。」
ここ数年、[右派の振興ばかりが目につき]「絶望」が広がっていたイスラエルの平和団体にとっては、入植地が取り去られることの意味は大きかった。それは入植者を応援する市民が実際にはそれほどいなかったことがじかにわかった体験でもある。
「これは入植者のイデオロギーが崩れ去った日だった。……救世主は家にいて、彼らを助けにこなかった。多くの入植者は、最後の瞬間には奇跡が起こると信じていたが、彼らが荷物をまとめることを邪魔するような何ものも起きなかったのだ。」
「撤退」に異議がある者もほとんどは家のテレビで様子を見ているだけで、入植地には駆けつけず、反対行動を扇動していた入植者リーダーの姿はいつしか消えたという。これらの人たちの孤立こそが、平和団体がずっと声を挙げ続けてきたことの成果だとアブネリは見ている。(また、アブネリは「撤退」阻止行動に集まった人々が別世界の閉鎖的なセクトのメンバーのように見え、イスラエル人であっても別種の人たちだと感じたことを書いている)。
兵士たちに「撤退」の任務拒否を呼びかけるラビたちの檄や、ホロコーストのイメージを持ち出す若者たち、涙の訴え、等々派手な見かけがあったにも関わらず、実際には「反対派」の右派がイスラエルで浮いた存在になっていたことをアブネリは強調している。
そして、それ以上に重大なこととして「これが平和に向かうための偉大な機会になる」とアブネリは述べている。シャロンが目論んでいるような、和平交渉を凍結してしまう道のほうがより危険だと言うことも強調して。
「……はっきり言っておかないとならないのは、「撤退」には大きな危険も伴うということだ。もし、飛び上がっている最中に止まっとしたら、私たちは奈落の底に落ちてしまうだろう。もし、私たちがここからパレスチナ人との合意まですばやく前進しない限り、ベンジャミン・ネタニヤフが「予言」するようにガザはミサイル発射の土台に変わってしまうのだ。……」
ネタニヤフはシャロンの「撤退」プランに反対して大臣を辞任したリクード党の中核メンバーだが、確かに撤退反対派の根拠のひとつに、ガザを放棄して、パレスチナ人に好き放題させていいのかというものがあった。アブネリは、「撤退」だけして、パレスチナ国家の実現に尽力しない限り、余計に危険になると言っている。これはイスラエルのアナリストなども指摘をしているところだ。少なくとも、ガザを封じ込めたままにしておくと、余計に事態は悪化すると見ている人は多い。
そこでアブネリはここから期限を決めて占領を終結し、パレスチナ国家を作るためにパレスチナ人との交渉に入るべきだということを強調している。
"This was the day that will go down in history as the day on which a great hope was born.…………A small step towards peace, a giant step for the State of Israel."
"This Was The Day" (Uri Avnery、 August 18th, 2005)による
「民主主義の強さが証明」云々…というのは、どんなもんだかねぇと思うが、アブネリがホッとし、喜んでいる部分は理解できる。
右派の行動は人目を引くように行われていて、それにあからさまに反対することはよほど強固な意志を持っていないと難しい。その右派の目立ち方だけ見ていると、国の大部分が靡いているのではないかという不安はどうしても湧き出てくる。
ところがそうでもないことが、今回の「撤退」でハッキリした形をとって現れたことは大きいのだとよくわかる。(最後の反対デモでも、そんなに盛り上がりを見せていなかった)。この辺はシャロンなどにも誤算の部分だったかもしれない。シャロンは「撤退」は支持してほしいが、それなりに入植地も支持してほしいというねじ曲がった、そして危ない橋を渡っているのだから。
アブネリが希望するように、これがターニングポイントになったらいいのだが、そこはまだ未知数だ。


