2004.10.07
3人の少女の死─ジャバリヤで、ラファで (長文)
6日夜にNHKで放映された「モスクワ劇場占拠・立ち上がる遺族たち」というドキュメンタリーを見た。私の心を離れないのは、事件で娘さんを亡くした母親が番組の最後に語っていた言葉だ。この娘さんは劇場に特殊部隊が突入したとき息があったものの、長いこと放置されてから遺体を運搬するバスに積み込まれ、3人の男性の下敷きになって窒息死したことが後にわかっている。
「今、私の人生には何も残っていません。でも、武装勢力の女性たちがなぜあんなことをしたのかはわかります。今の私だって………何をするかわかりませんから……」
6日朝、ガザのラファで13歳の少女が学校に行く途中で撃ち殺されたというニュースが入った*。読売新聞6日付はこのことを以下のように報じている。
「南部ラファ難民キャンプ付近では、爆発物らしき物を持って軍陣地に近付いた13歳の少女を射殺した。ヨルダン川西岸ヘブロン近郊では、イスラム原理主義組織ハマスの活動家1人を殺害した。(エルサレム支局) 」
主語がない不思議な文章だ。この少女、イマン・アル・ハムスは全身に20発以上の銃弾を受けていた。頭部だけで5発。(書いていると、わなわなとしてくる)
ジャバリヤでも2人の少女が撃ち殺されている。この3人の少女のことをガーディアンのクリス・マクグリール記者が書いているので、簡単にまとめてみたい。
「2人の少女、頭に2発の銃弾」より
クリス・マックグリール
ジャバリヤ難民キャンプにて
2004年10月6日
(ガーディアン)
イスラーム・ドウィダルのクラスメートは、まだイスラームの死のショックの真っ只中にいた。教師は生徒たちと顔を合わせる前に外ですすり泣いていた。イスラームの近しい友人は毎日、彼女たちがどんなふうに学校へ一緒に通ってきたのかを思い出していた。そんなときにターヘル・アブ・エル・ジッドヤンについての知らせが届いた。
ジャバリヤの二人の15歳の学生は、数ブロック離れた家の中で、数時間おいて、ともにイスラエル兵によって頭を撃たれた。イスラームは日曜日、家の庭で母親と一緒にパンを焼いていたときに、銃弾が額を突き抜け、ほとんど即死だった。ターヘルは脳から砕け散った頭蓋骨の破片を取り除く手術を受けて、まだ生命維持装置の中に横たわっている。
かすかな呼吸以外、生きているというしるしもなく、ターヘルは身動きひとつせずに横たわっている。医師たちはターヘルが生き延びることはないだろうと考えている。
ターヘルの母親であるインティサールは昨日、娘のベッド脇にいた。
「あぁ、ターヘル、私の愛しい子。おまえでなくて、私がベッドに横たわっていられたら……」母親は娘に囁いた。「ターヘルは家の前を掃いていたんです」母親は言う。「私は彼女に話しかけながら立っていました。私たちはイスラエル兵がそこらをうろうろしているのを知っていました。私たちの通りのビルの上にスナイパー(狙撃兵)が陣取っていることも知ってました。でも、こんなことが起こるなんて。連中はターヘルの頭をただ撃ったんです。脳が飛び散りました。ターヘルは『ママ、撃たれたわ』と言い、神に祈って倒れました。」
銃弾は2発だけ。1発目はターヘルの額を直撃した。彼女が倒れて、2発目はターヘルの後ろの壁に当たった。「私は兵士がターヘルを故意に撃ったということに疑いを抱いていません。うちの地域では戦闘は起こっていませんでした。他の銃撃もなく、ただ1発がターヘルに当たったのです」と母親は語った。
ターヘルと一緒に立っていた14歳の弟、ナセルは先週、(銃弾の)破片で怪我をした。イスラエル軍は11年前の最初のインティファーダのときに、二人の父親を殺している。
ターヘルの母親、エル・ジッドヤン夫人は日曜の朝にターヘルが学校に行くことをやめさせたのを後悔していた。母親はジャバリヤのシッカ通りで外を歩くのはあまりにも危険だと考えていた。というのは、シッカ通りは先週イスラエルの戦車と兵士に占拠されていた地区のへりにあったからだ。スナイパーたちは通りを見下ろすビルの上に陣取り、戦車は1ブロックほども離れていないところにいた。
「私は娘を家の外へ出さなかったけれど、家の中も危険だったのです。戦闘が起こったときには壁を突き抜けて銃弾が家に入ってきました。私たちはイスラエル兵がいる側の部屋を使うのを止めました」
☆
イスラエルとパレスチナの人権団体は「悔悟の日々」作戦によって先週軍隊に殺されたほぼ80人のうちの半数が民間人だとしている。いっぽうイスラエル軍はミサイル攻撃ではハマスとイスラーム聖戦の戦闘員だけを注意深く狙っていると言っている。
(中略)
☆
しかし、昨日、ガザ地区のラファではべつの10代の少女の命が奪われた。パレスチナ人の医師はイスラエル兵が13歳の少女、イマン・アル・ハムスに約20発の弾丸を浴びせたと語った*。そのうちの5発は頭部に当たっている。
軍は少女がラファ難民キャンプの「進入禁止」地域に入り、兵士が爆弾だと懸念したバッグを落としたという。
パレスチナ人は、兵士が難民キャンプに侵入してきたとき、イマンは学校へ歩いていっていたと話している。怖くて走り出したときにバッグを落としたのだとも。
爆弾を詰めたバッグはみつからなかった。
─end─
省略部分で、イスラームとターヘルが通う女子校の校長はこのように語っている。
「私にとってショックだったのは、自由な世界の誰ひとりとして子どもの殺害を非難しなかったことです」
原文: Two girls, two shots to the head
参考:6日に書かれた Battling to survive in Jabaliya にも上記のターヘルの様子が描かれている。主に今回の侵攻で怪我をした人たちの状況を伝える文章。5日までに病院の記録によると、死者は83人(18歳以下は19人)に上っている。傷の状態のこのような証言も。どういうことなんだろう?
Sakka also said the hospital had difficulty understanding some of the injuries they had come across. "We are seeing tens of shrapnel entries all over the bodies of the dead or and wounded, but many of those shrapnel entries, without exit wounds, do not show up on the x-ray."
[追加]*ラファで殺されたイマン・アル・ハムスさんについては、ハアレツ紙に "IDF kills girl, 13, on her way to school" という記事が出ていた。それにより新たにわかったことを若干追加。
イマンさんは2人のクラスメートと一緒に制服を着て学校に行く途中で撃たれたが、撃たれたのは学校から400mの地点だった。最初に警告の空砲が撃たれ、それに驚いてバッグを落とし、駆けだしたところを銃撃された。
目撃者によると、最初に警告を受けた時点でイマンさんは軍のポスト(駐留所)から50mの地点にいて、駆けだして腕を撃たれ、地面に倒れた。しかし、銃撃は続いた。最も近い地点のポストからだけではなく、いくつかのポストから撃ってきていた。救急車を呼んだが、イスラエル軍が医療チームに接近を許すまで2時間近く、彼女は放置されていた。
イスラエル軍はイマンさんがいた場所を「パレスチナ人立ち入り禁止地区」だとして、彼女が普段とは違う通学路を使っていたと主張。戦闘員に様子を探るように指示されていた可能性を示唆している。しかし、パレスチナ側はそこがイマンさんと友人たちの普段の通学路だったと言っている。
[追加] イマンさんの事件は下士官たちが上官を訴えるという事件に発展した。これについては 13日付のブログ に
[追加2] イマンさんのお父さんの言葉を伝える文章: 「ある父親のことば」 ("つつがある日々")
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【30人の子供たちを、私は殺した。】B.Michael , Yediot Aharonot(2004/10)
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2004.11.12 (Fri) 01:34



BSで「壁」放映
コメント by :maco6100
「モスクワ劇場…」はBSですね。ウチはBSが見られず残念ですが、6日付朝日新聞朝刊の「BSアングル」という欄に“パレスチナの「壁」リアルに”と題したコラムがありました(署名赤田康和)。著作権の問題があるので引用しませんが、TBS系のBSiが制作したドキュメンタリー「アイズアイ『人間の戦場』」のことが書いてありました。徳光規郎プロデューサーによる4連作の完結編だそうで今月25日に放映されるらしいです。先日、前作をビデオで見る機会がありましたが、今回も何とかして見られたらいいんですけどね。
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2004.10.07 (Thu) 11:29