2006.05.25

『ガーダ パレスチナの詩』 2つの世界を飛び越えて

これはネタバレのある感想です紹介は 『ガーダ パレスチナの詩』 勝手に書く紹介文 のほうに。

『ガーダ パレスチナの詩』は世界でも稀有な映像作品だ。それは撮られている対象が世界的に見られることのなかった映像であるというだけではなく、対象との距離が独特であるということも大きい。

ひとつ前のエントリで書いた「ナイロビの蜂」との対照で見るとわかりやすいかもしれない。「ナイロビの蜂」は外から行った人間が「西洋」に見せるために「アフリカ」を撮しているのに対し、「ガーダ」は同じようでありながら、徹底的に内部から、遠い世界を内のものとして撮している。

ガーダの姿の画像
主人公のガーダ

中東でも「紛争地」とされ、貧困もすさまじいガザという場所が、我々と彼らのいる場所ではなく、「私たち」の場所として描かれている。それには「ガーダ」という実在の人間が私たちの横にいて、そして自分を語るという形になっていることから来ている。そこにはけして映らないが、ガーダの分身のようになるまで通い続け(12年も!)、空間の一部となってカメラを回した監督・古居みずえさんの存在がある。

ガザはある意味、日本から遠い世界だ。そこにも人の営みがあるがあるから、同じなんだと言ってみても、それだけでは何の意味もない。

だが、パレスチナやガザが語られるときに「見せられる」映像の、画一的な貧しさを思うとき、その背後に隠されていた世界が唐突に現れる「ガーダ」の唯一性に、私たちは「ここも人が生きて暮らしている地」なんだとそれだけのことに驚きを感じる。

結婚や結婚披露宴を巡って親族たちが意見を交わして紛糾する冒頭のシーン。少し雰囲気が違っても、ここらでも多くの家庭で行われているはず。

その人数が多い所などは、昔の古里のようであり、カメラなどまるでいないかのようにモメて、収拾がつけばついたで、親愛の情を表す母と息子の様子には、びっくりするような親密さがある。

これが「内」に入ってしまった人でないと撮れない空気であり、しかもその人は「外」の目を持っていないとカメラを向けることはできない。

そんな離れ業ができたのは、通った年月だけではなく、古居みずえさんの個性によるのだろうか。

この映画のもうひとつの特徴は、ガーダの人生を追いながらも、まったく無名のそこらの人々が、──とくにおばあちゃんやおばさんたちが──圧倒的な存在感を持って、出てくるところだ。

難民になって60年近く経ち、さらにやっとこしらえた家も壊され、果樹も根こそぎにされた100歳近い老女が、自分のダメにされたオレンジの樹から、たわわになったオレンジをもいで、たくさんガーダに手渡すシーンがある(私の大好きなシーンだ)。

おばあさんは身の不幸を嘆き、心身共に消耗しているはずなのに、最後の収穫となったオレンジを惜しむことなく、ガーダに手渡そうとする。そのときの威厳に包まれたような、慈愛に包まれたような様子は、私をある意味、うちのめす。

破壊されても破壊され尽くされないもの。それがこのフィルムには満ちている。

鎌を持って望郷の歌を歌うおばあちゃんの涙。昔の恋の歌。銃弾が響くなかで冗談をいいながら作る料理。

イスラエルの人々には、このガザを見て欲しい。自分たちが何をやっているか、それをこのフィルムは教えてくれるだろう。

2つの世界を超えようとしているガーダと古居さんの二人がこの映画を生み出したと私には思えている。


[どうも日本ではそんなに興味を持たれないようなので、私は勝手に世界にアピールしようかということも考えてしまった。世界のなかにはこの映画の存在を祝福するひとがたくさんいるはずだから……]

5/25現在上映しているのは、東京(渋谷)・アップリンク、名古屋・シネマテーク、大阪・シネ・ヌーヴォーですが、いつまで見られるかは不明。名古屋は27日からモーニングショーのみという話も。詳しくは以下で。

『ガーダ パレスチナの詩』公式ウェブサイト: http://ghada.jp

*オススメの映画批評、感想:

「ガーダ〜パレスチナの詩〜 (池谷石黒ウェブログ)

「日々、世界のニュースを流し読みしていると、今まで行ったこともない国のことなのに、まるで全てを理解したかのような気になってしまうことがよくあります。それは例えば、この映画の舞台になっているパレスチナにしてもそうです。
「ガザ地区」と聞くだけで、貧困、蹂躙、弾圧、抵抗……と、暗く、殺気立った言葉ばかりが先立ってしまいますが、この映画の冒頭の、気負って観ていたら拍子抜けするほどの楽しさ、明るさ、牧歌的なムードに「あぁまた僕はその国の人の日々の生活に想像を巡らすことをしていなかったな」と思い知らされます。」

(上記冒頭部より)

『ガーダ パレスチナの詩』 (Arisanのノート)

「このドキュメンタリー映画を見ていちばん強く思ったことは、人間にとって文化や共同体や歴史や故郷や大地といったものが何を意味するのか、「奪われた側」の人間にしか、ほんとうは分からないのだということだ。」

(上記冒頭部より)

『「ガーダ」水のような映画』 By.emme emme (アラブ口承文学として見た映画のなかの詩や語りについての解説コメントBy.アビールさん あり)

「水の流れのような映画だ。高きから低きへ流れ、とどまり、満たし、運び、流れる。その水を導くのは古居みずえの視座、そしてそれと呼応するガーダの意識だ。さらさらと自然で透明で衒いがない。しかしその水は地下水脈の強靭さをもつ。水に運ばれて、一人の女性の生を追いながら我々は、パレスチナの歴史、伝統、風習、精神、苦難、抵抗を廻ることになる。叙事詩(英雄の登場しない)を描いた一連の壁画を見る趣だ。」

(上記冒頭部より)

**新聞での紹介: 東京新聞「OLやめてパレスチナの地に立っていた。」 (cash)

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■ コメント&トラックバック (5 件)

『ガーダ』感想

コメント by :ばるさん

大阪で21日に見ました。古居さんの挨拶も。
感想を自分のHPのBBSに書きました。
あまり良い感想とは言えないですが、参考になれば。

トラックバック from:ばるさんの・・・

2006.05.26 (Fri) 00:21

『ガーダ』見ました

コメント by :nagi

とても素晴らしかったです。
映画を観ている間中、まるで自分もその場にいて、ガーダの隣で一緒に笑ったり泣いたりしているかのようでした。
そして、登場する人達それぞれの「生」への共感が溢れてくるのと同時に、生活のかたまりそのままをガーダに突き付けられて(だけどそれは、ただ撮ったら映るというものでは勿論ない)、それが自分の中に飛び込んでくるような、そんな感覚を持ちました。

用意された答えに沿わせた収まりのよいポエムとは違う、ここにありありと存在する「パレスチナの詩」に触れられる貴重な機会でした。
グッときました。

トラックバック from:

2006.05.26 (Fri) 14:43

「ガーダ 〜パレスチナの詩〜」

コメント by :

トラックバック from:池谷石黒ウェブログ

2006.05.28 (Sun) 19:46

「ガーダ」を観ること

コメント by :うに

私も見て来ました。たくさんの人に見てもらいたいなあ。大阪と名古屋では上映が終わってしまったようですが、東京はまだやってるみたいですね。見に行けるところにお住まいのかたがたに、ぜひお勧めします。

トラックバック from:壊れる前に…

2006.06.03 (Sat) 21:42

『ガーダ 〜パレスチナの詩〜』(古居みずえ作品)

コメント by :

トラックバック from:残 照

2006.06.25 (Sun) 22:16