2006.05.07

私たちのいるところ 2枚の写真から

大事な友人から来たメールの中にこんな言葉があった。

「さっきインターネットでla Repubblicaを開き、気になるタイトルを開いたところ、胸を掻きむしられるような、なんていう表現では足りない、「言葉を失う」としか言いようがない、そんな写真が目に飛び込んできて、涙が止まりませんでした。」

la Repubblica紙 のリンクを開くとこのような写真が飛び込んできた。

砂浜に横たわる男性の後ろに水着の観光客が無関心に座っている写真
大きな画像はこちらへ:REUTERS/Juan Medina

友人はこのような説明をつけてくれていた。

「カナリア諸島の小島の砂浜の、日光浴をする人々の真っ只中に、37名の密航者(サハラ砂漠地方から)を乗せた小舟が流れ着いた。

彼らは力尽きて砂浜に横たわり救助を待っている、というものです。」

この人々がどのような事情で、どのような旅を経て、サハラからスペイン沖のカナリア諸島にたどり着いたのか、正確なことは私には今のところわからない。ただ、命をかけ、小舟に身を任せて、焼けつく太陽の下、やっと陸地にたどり着いたことはわかる。もうすでに力つきかけていることも。その横には欧州のツーリストがのんびりと座っている。目の前に何かがあるとも思わぬ様子で。

友人が「言葉を失った」というのは、危険を冒して密航してくる人々への思いだけに留まらず、この「何事もないかのよう」に、バカンスを楽しんでいる人々の様子が、まさに私たちの世界そのものに思えたからなのだと私も同じように感じながら見た。

「まさに目の前にいる」人の苦しみが、まったく宇宙の外のことのようになっている世界。

この1枚の写真のなかに密かに引かれている線の恐ろしい深さが私にも感じられる。この横たわっている人の朦朧としている意識のなかで見られている景色が、私たちのいる場所なのだと思う。そこには楽しげな人々がいるが、その人たちには自分は存在しないも同然なのだ。

マイケル・ウィンターボトム監督が「イン・ディス・ワールド」で描いたパキスタンから英国に密入国する少年の映画を思い出した。地獄のような体験をして、少年は多くの人が死んでいったなかで生き残り、トルコからイタリアのベネツィアに到着する。

そこには観光を楽しみ、テラスでお茶をする家族連れがいる。誰も彼の孤独も飢えも恐怖も知らない。そんな少年がそこにいることにも気づかない。少年は西洋人観光客のバッグをひったくり、自分が生きていくために盗みを働く。あのとき、少年が見ていた「西」の、または「北」の少年には無関係のきらびやかさに、ぞっとする冷たさを感じたものだった。

(でも、私たちも同じことをこの国でどれだけしているか。「存在しない」ものとみなすだけではなく、行政は追い立て、少年たちの一部は「不必要」とした人間に火を放つ……)。

カナリア諸島に漂着した人々の写真のなかには、たった1枚だけこんな写真もあった。

密入国者を抱き留める救援者の写真
大きな画像はこちらへ:REUTERS/Juan Medina


*[note]……カナリア諸島、アンダルシアにはこの5日を中心に250人以上の人々がサハラからやってきているという。サハラ周辺とだけあって、あまり事情がわからない。とりあえず Más de 250 inmigrantes indocumentados llegan a Canarias y Andalucía a bordo de seis pateras (エルパイス紙、スペイン)に移民漂着のニュースがあった。

*一連の野宿・排除・移民などに関わるエントリーを集めました: [リンク集]野宿・排除・公園暮らし

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■ コメント&トラックバック (4 件)

ビーチでの出来事

コメント by :yoshiyoshi

いつも貴重な情報ありがとうございます。まさに「言葉を失う」写真ですね。でもなんとか頑張って感じたことを僕なりに言葉にしてみました。

トラックバック from:海に恋して

2006.05.07 (Sun) 20:55

コメント by :あつし

以前、アイヒマンになりたくないとコメントしたあつしです。お久しぶりです。今回のエントリー、「言葉を失う」エントリーでした。最後の写真のように、そっと抱きしめあげる、というか痛みと悲しみに共感して抱き合える人でありたいと思いました。ビーさんは色んな人を抱きしめていると思います。毎日このブログをチェックする僕もビーさんに抱きしめられている1人です。ぼくは誰かを抱きしめているのだろうか?唯一抱きしめているのは、自分の子どもくらいでしょうか?

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2006.05.07 (Sun) 22:43

息を飲み、言葉を失う写真

コメント by :

トラックバック from:池谷石黒ウェブログ

2006.05.07 (Sun) 23:43

どこに立つのか…

コメント by :ビー

>yoshiyoshiさん、

私が雑に書いたことを、じっくりと書いていらっしゃって。私もまた、この場所に立ったかのような思いになりました。

>あつしさん、

ほとんどの人が誰かを抱きしめ、抱き留めていると思うんです。でも、それ以外の人になるとどうなのか。私はこの下の青年のように抱き留めてあげられないかもしれない。でも、肩に手を置いてあげられるかもしれないし、一杯の水を差し出すことができるかもしれない。そんな淡い、でも、ゆるやかにつながるゾーンが自分のなかに広がるのを願っています。

>池谷石黒ウェブログさん、

ナクトウェイの写真などにも確かに共通します。それほど言葉はいらず、写真だけが語っているようなもの。そんな表現をするためには、写真家も自分の立つ場所を問われ続けるもの。そこを明確にできる表現者はそれほどいないと思います。ロイターのカメラマンさんに今回は感謝してます(こういう人は他でもいい写真をとるに違いない…)。ところで、HosonoHouseは私の愛聴版で、見るたびに嬉しいです。



コメントやTBを入れてくださった方、ブックマークしてくださった方、ありがとう。世界の片隅で起きたほとんど誰も興味を持たないような一光景をシェアすることができる人がいることを私は嬉しく思います(そこで見るものは、シビアだとしても)。

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2006.05.09 (Tue) 02:18