2005.10.18

日記のような:「アルナの子どもたち」を見て

昨日、東京から関西に帰ってきて、すぐさま「アルナの子どもたち」を見に行った。これで2度目。ただ、前回は英語字幕だったが、今回は日本語字幕(しかも、英語からの重訳ではなく、アラビア語からの訳だそうだ)なので、細かいニュアンスがよりわかった。

メール・ハミス監督の言葉も心に直撃するような重みを持っていて、自分のなかに響いている。(日本語に訳して出すと、もうひとつそれが伝わらないのでやめておく)。以下は、見ていない人のことをまったく考慮していない私自身の感想(ネタバレありまくりなので、見ていない人は読まないほうがいい…)[後で読み返してみると、いつにもまして支離滅裂。頭が働いてなかったせいかな。風邪っぽくてピンチ。書き直すかもしれないです]

正直に書くと、私はこの映画を冷静に語れない。無理矢理それなりのことは書けるのだろうけれど、そうする気にも今はなれない。幼稚な感想文しか書けないけれど、自分の感想を書き留めておく。

一緒に見た友人は「とても人と一緒に見る映画じゃない。ひとりで家でみたかった」と言っていたけれど、私にはひとりで見る勇気がない。周りに人がいるからまだ自制ができているので、ひとりでこの映画と対面したらとても簡単には立ち直れない。

最初に見たときは広く世界では「テロリスト」と言われてしまう彼らの子ども時代からの姿を描いていることで、その変遷がショックなのかと思っていた。でも、そんなことはわかりきった状態で2度目に見ても、ショックは変わらなかった。

今回発見したのは、どのシーンもただただ映像として私の中に深く突き刺さってくるということ。劇の始まる前に友達の衣装替えを手伝う仕草、無邪気に笑う顔、家を破壊されて呆然とたたずむ子ども時代のアラの眼差し、遺体袋になってしまったアシュラフ、自殺攻撃前のビデオのなかのユーセフの顔、ブービートラップをはずしているアラ。何もかもがすごい存在感で私の中に残っている。

とりわけ戦闘に加わらず、生き残った青年が死んでシャヒードとなってしまった友達たちのポスターを街に貼っていくシーンは、あまりにも辛く耐え難いものがあった。死んでいった者の記憶を抱いて、生き続けることの辛さがそのままにじみ出てくるようだった。生き残ることもここでは生やさしいことではない。

「死の礼賛」のように受けとられるシャヒードとしてのポスターも、あのように「勇気を持って死んでいった」という表現でしか友人の死を悼む道がないのだとわかる。

毎日のように私はここにパレスチナで起きた事件を書く。どんな屈辱が、どんな暴力が、どんな理不尽が行われているかを十分に知っている。武器をもって闘う者たちを駆り立てているものも知っている。それでも、本当のところ、それがひとり、ひとりの存在に向けられたこととして、こうやって見ることはまったく違うというのをこの映画は否応なしに突きつけてきた。

パレスチナを訪れて、誰かを深く知っても、ここで描かれたほどにはわからないかもしれない。ジュリアーノという半分外部で、半分内部の媒介者がいて初めてこの映像は成立したのだろう──彼は自分のことを「ユダヤ人の母、パレスチナ人の父をもってイスラエル社会で生きることは、ナイフで自分の存在をまっぷたつに切り裂かれるようなものだ」と語っていたという。

ジュリアーノの映像は、彼らの行為を賞賛もしなければ、否定もしていない。ただ、彼らの存在をそのまま受け入れ、慈しんでいると私には感じ取られた。

映画のなかの子どもたちは、一個の人間として、本当に身近にいるようで、そして尊厳を持っている。

2003年の夏、包囲されているナブルスに私の友人はいた。ある晩、友人は破壊されるかもしれない家を守るためにその家に泊まり込んでいた。イスラエル兵士は何夜もその家の近くを襲っていた。その知らせを聞いたとき、「友だちに何かが起きたら」と思い、全身の血が逆流しそうだった。本当は何もできないのに「ただじゃおかない」とまで感じたものだ。まったく同じ思いを映画は思い起こさせた。

私のなかに彼らに「死なずに生きていてほしかった」というまったくどうすることもできない思いがずっと響いている。それは彼らをそうさせたものへの怒りと混ざり合って、渦巻いている。どうすることもできないのに…。

ビデオに残ったユーセフの言葉ととても重なるものを最近読んだ。

「いとしいお母さん

ぼくは死にます。ただしパルチザンとして。口許には微笑みを、心には信念を抱いて。悲しまないでください。ぼくは満足して死んでいくのですから。友達や親類の人によろしく。強い抱擁と熱いキスを小さなインペーリオに、イレーノに、いとしいお父さん、お祖母さん、お祖父さんに。いつもぼくのことを思い出してください。さようなら。

あなた方の息子、ドメーニコ」

(「語りつぐ、ということ ─イタリアの抵抗者たち」志村啓子、季刊『前夜』5号による、原典は『イタリア・レジスタンス刑死者の手紙』P・マルヴェッツィ/ G・ピレッリ編)

17歳の電気技師だった青年がイタリアの反ファシズム闘争に参加し、死を前にして綴ったものだという(1943-45の間に書かれている)。

ここにある矜持はユーセフにもアラにもアシュラフにも共通するものだろう。それはアルナ自身の魂でもあった。それでも、私は彼らが殺されるということを受け入れたくない。だから、私は明日もここに何かを書くだろう。このようなことを終わらせることを願いながら。

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■ コメント&トラックバック (2 件)

怒りは正常な反応です。

コメント by :田仁

怒りは人間的に正常な反応です。理不尽な目に遭って、それすら感じない方がおかしいでしょう。
日本の戦後教育は怒りすら抑圧しますが、戦前の反動とは言え、その教育を受けた世代の「現状を変える力」の低さに、悪影響が如実です。
本当の問題は怒りを感じるかどうかではなく、理不尽さに対する怒りを原動力として、何をするかでしょう?
だが、現実には手段を選べない状況もある、それを一概に非難できないのは、これまた当然です。
あまり独りで抱え込んで、自身を害するのは却って利敵行為なので、どうぞ程々に。
大事な事をしていらっしゃいますよ。

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2005.10.19 (Wed) 00:18

イライラ。

コメント by :india

私も怒りは人間愛があるからこその反応だと思います。
ただ、人間愛は突き詰めれば理解ともいえ相手がたとえどんなに理不尽で非人間的であっても、完璧でない
という意味で人は例外なく平等といえます。
とはいえ実は私は漠然といらついてます。
悲惨な状況におかれた人たちは「世界に見放された感覚」の中にいる。
パキスタン地震の負傷者7万人はパレスチナと違って認知されてるのにそれでも支援は足りない。
チャンネルを変えても馬鹿げた番組ばかり。
そして私には力もなくて、あらゆることにいらついてる。
多額の資金があれば、使ってないチャンネル買い取って世界中の草の根ジャーナリストに振り分けるのに。

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2005.10.19 (Wed) 06:31