2005.10.08
映画:「アルナの子どもたち」
映画「アルナの子どもたち」の待望の上映が東京と京都で決まった(15、16日)ので、それを記念して紹介を書いてみたい。
推薦
映画「アルナの子どもたち」ジュリアーノ・メール・ハミス監督 (イスラエル/パレスチナ)
「人間の心の奥底から沸き上がってくる思いを伝える力強い映画」(ハアレツ紙、ウリ・クライン)「言葉を失った…。動くこともできなかった。ただ、じっとエンドロールに流れるアルナの子どもたちの名前をみつめていた」(エレクトロニック・インティファーダ、アラジャン・エルファシド)
パレスチナ西岸のどこかで車が列をなしている。ちっとも動かないそちらの列を横目にカメラの載っている車がずんずんと前に進んでいくと、そこはイスラエル軍兵士が検問を行っている場所だということがわかる。進まない列に並ばせられているのはパレスチナ人たちの車だ。
そのすぐ横に老女がいる。彼女はイスラエル兵士に向かって「車を通させろ!」と叫び、パレスチナ人たちには「ホーンを鳴らせ」と抵抗を呼びかけ、「(検問を無視して)通ってしまえー」と扇動する。この女性が映画のタイトルになっているアルナで、監督自身の母親であり、ガンに冒されながらも、人を圧するだみ声をはりあげている。──これがこの映画の印象的な冒頭だ。

(写真は Arna-active memorial site より。アルナが最後にジェニンを訪問したときのもの)
若き日にユダヤ人の地下組織パルマッハに加わり対英闘争を戦ったアルナは、共産党に入党し、パレスチナ人と結婚した伝説的なイスラエルの「異端」女性。ある時からジェニン難民キャンプの子どもたちのための活動を始め、スウェーデン議会から「もうひとつのノーベル平和賞」を贈られる。この映画はかわいいパレスチナ人の子どもたちが彩りを添えるアルナの自伝的ドキュメンタリー…になってもいいはずだった。が、そうはならなかった。
元々アルナ自身は自分が映画で描かれることで、カルト的対象にされるのを拒否していた。しかし、アルナがガンで余命1年だということがわかり、映画用の撮影が始まる。母親の姿を残しておきたいと撮り始めた息子のジュリアーノは、だが、母の死の数日前に撮影を続けられなくなる。[このへんは監督自身へのインタビューbyハアレツ紙による]
撮ったフィルムを前にどうしようかと監督のジュリアーノは思案する日々が続き、映画の企画はだんだん消えてなくなりつつあった。
「ぼーっと家でテレビを見ていたら、ユーセフが自殺攻撃を行って、射殺されたというニュースが飛び込んできた」
ユーセフはアルナがジェニンで子どもたちのために作った劇団に参加していた子どもで、そのときの様子をジュリアーノはビデオで納めている。
ジュリアーノはスタッフとともにジェニン難民キャンプに向かい、劇団員だった子どもたちが成長した姿に出会う。ときはおりしも2002年の苛烈な「防衛の盾」作戦中で、ジェニンは特にイスラエル軍の集中砲火に遭う。
この時からジュリアーノのフィルムは、アルナとアルナが絆を作ってきた子どもたちの映画へと変わった。
☆
この映画はアルナとジェニンの子どもたちの在りし日の姿をはさみつつ、いまや青年になったかつての劇団の子たちを映し出す。
劇と出会い、自分を表現し、夢を語る子どもたちの姿は、占領下でイスラエル軍と戦う闘士へと変貌している。
そのとき、「テロリスト」と非人称のように語られる存在が、みなかつては子どもであり、顔をもった存在として浮かび上がるが、彼らが生きているのは命を失うことも当たり前になっている世界だ。
この映画がオランダで上映されたときには、観客にユダヤ人もアラブ人もいたが、みな最後に目を腫らしていたという。
戦車の前に古ぼけた銃を持って立つ彼ら──このとき、ジュリアーノのカメラはかつての子どもたちと同じ側にあり、戦車と向き合っていることは書いておきたい──を映画は肯定も否定もしない。ただ、そういう存在が強く私たちの前に投げ出される。言葉を失う現実が私たちに残されて終わる。
☆
NYのトライベッカ映画祭をはじめ、チェコやトロントやアムステルダムで賞を取ったこのフィルムは、安易な武力礼賛も、テロリスト批判も引き出す可能性を持ちつつ、実際はもっと深い問題を投げかけている。
じつはイスラエル外務省はこのフィルムを歓迎した。理由は「ジェニンで虐殺があったとは描いていない」からだという(とほほ…)。とはいえ、ここで出てくる「テロリスト」たちは戦車の前にはあまりにも無力で、イスラエルの「軍が攻撃を受けた」という主張はあまりに分が悪いと思う。
ただ、「イスラエル人は支援をしたのに、あいつらは銃を取った」という見方ができるあたりは都合がいいのだろう。
監督のジュリアーノは、アルナを単にイスラエル人として受け取られるように描いたことに関して後悔をしていると語っていた。「アルナはシオニストの植民地主義に対して闘い、イスラエル人の集団を飛び出て、インティファーダに参加したのです」とジュリアーノは言う。
たしかにそこの部分は弱いかもしれないが、アルナの最後となったジェニンへの訪問で、シアターに集まった人々に「自由のために立ち上がって戦え」とスピーチ──というよりも、燃え上がるようなアジテーション──を行っているアルナにその部分は感じることができる。
子どもたちはそのアルナの精神を受け継いでいるように見える。狂信的でも、憎しみに煽られてでもなく、自由のために、自分の尊厳のために闘いを選び取る。安売りされる「共存」に腰をおろすのではなく、本当に何を分かち合うことができるのか。「アルナの子どもたち Arna's Children」は、稀有なつながりと、苦い現実を描き、私たちに揺さぶりをかけてくる。
☆
上映と監督による対談
15日◆東京・お茶の水、明治大学◆13:00〜
16日◆京都・百万遍、京都大学◆13:00〜
主催:パレスチナ子どものキャンペーン
詳しいことはかなりネタばれ(?)満載の紹介文つき 案内 を(パレスチナ子どものキャンペーンによる)
*このレビューは、英語字幕版を見て書かれたものです。セリフは多少日本語字幕と違うかもしれません。
*映画の経緯については、ハアレツ紙2004年9月のメール監督へのインタビューによりました。
[オマケ]☆この映画の邪道な注目ポイント
2002年のシーンで、闘士の青年たちグループの一員として「ザカリヤ」という青年が登場します。彼はすぐ後にジェニンのアルアクサー団(ファタハ系武装組織)リーダーになった人物。西岸のアルアクサー団トップ2とも言われ、イスラエル軍から3度か4度暗殺攻撃に遭い、車に同乗していた仲間はミサイルで殺されているところを逃げ延びている人です。 ものすごい統率力を持つというザカリヤ・ズベイディがカリスマ的存在感をまったく持っていない…ところがこの映画ではわかります。 「平和な時代に生まれていたら、庭師になりたかった」と言うこの青年は、まさに庭師のおにいちゃんの雰囲気でした。
*このザカリヤと 「もうひとりのアルナ」 について、書きました。
**こちらはネタばれありまくりの感想文: 日記のような:「アルナの子どもたち」を見て



『アルナの子どもたち』(☆☆☆)
コメント by :175
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2005.12.07 (Wed) 16:40