2005.09.17

続・残留シナゴーグ問題 「かつて、モスクがあった場所」

「オマエがやったから、こっちもやってやるんだ」 という発想は、どう考えても生産的ではない。ガザの入植地跡に残されたシナゴーグ(礼拝堂)に火をつけることは、かつてパレスチナ人たちのモスクがイスラエル建国によって破壊されたりしたことのお返しだと思う人々もいるが、イスラエルのハアレツ紙が出した記事はもう少し別な視点を与えてくれる。

ハアレツ紙のメロン・ラポポート記者が出した「ここにはかつてモスクがあった(A mosque once stood here)」は、イスラエル建国によって、現イスラエル領内にあったモスクがどうなったのかを伝えている。

それによると、破壊されたモスクは推定100箇所程度で、現存しているもののうち、34はユダヤ教のシナゴーグや家屋や倉庫などに改修されて使われている(そのほとんどがシナゴーグで、2つはカフェ)。

また、最低39箇所は立ち入り禁止になって、うち捨てられた状態になっているという。

この旧モスクの情報を得るためにラポポート記者は、いくつものイスラエルの省庁をたらい回しにされ、結局は公式な記録を得ることができなかったことも書かれていた。

この記事にはテルアビブ〜エルサレム街道沿いのかつてのパレスチナの村にあったいくつかのモスクを訪ねたレポートも載っているが、なかにはミナレット(尖塔)が取り外されて、シナゴーグになっていたものもあった。

パレスチナ人たちはこのような歴史がひとつも言及されることなく、自分たちがシナゴーグに何かをしたときにだけ騒ぎ立てられるということに不満を抱いている。それもそのシナゴーグは国際法に反して、違法に作られたものだということをわきまえて欲しいと願っている。

このレポートは、ガザでの問題を契機にしてイスラエル人自身が自分たちの行ってきたことを振り返ることができるのだ、と静かに語っている内容だった。

"A mosque once stood here" (By Meron Rapoport、16/09/2005)より


この記事は実際はもっとディティールに富んでいて、きちんと紹介したいとは思うのですが、今はちょっと時間的に難しいです。(どなたか読んでみて、訳したいと思った方はご連絡ください)。

ちょうど読んだばかりの本の中で破壊されたモスクの記述に行き会った。

「…ファサードは汚れて傷み、柱廊には亀裂が走っていた。わたしが足を踏み入れることができた一軒は、内部がゴミの山と化していた。近くには二つのモスクの跡があったが、ひとつは尖塔(ミナレット)を遺して毀たれ、もうひとつは瓦礫に埋もれ、壁に英語でSatan's Armyとスプレーで落書きがなされていた。憂鬱な気持ちがした。…」

『見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行』(四方田犬彦、作品社)より、ハイファのワディ・サリムを訪ねた箇所。

他にも

「モスクが貶められ、辱められているさまを、わたしはイスラエルのいたるところで見かけた。」
と同書にはある。

イスラエルの人々が普段生活している傍らに、本当はそれらのモスクはひっそりとある

[この文章は 13日の文 「残留シナゴーグ問題『毒入りギフト』の続きです]

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