2005.08.22

「撤去できるね!」──「入植地」について思ういろいろ

細切れ作業になっていた 「撤退」の煙幕を取り払うためのファクト・シート をやっと書き終えた。内容に目新しいことはそれほどないけれど、まとまっていることに価値があると思う。他のひとに役立つことがあるかどうかはわからないが、自分には役立ちそうなので、リンクを全部はってみた。で、リンク先もほぼ全部をざっと読んだ。「撤去」は終わっても、ガザが抱えている問題も、入植地の問題も終わらない。また、これらの記事を読み返すことが来るんだろうなぁ。以下はこれを書いていて、思ったこと。

なーんだ、「入植地の撤去はできるじゃない!」というのが、ガザの様子を見ていてまず感じたこと。少し衝突も起こっているが、割合と平穏だ。やろうと思えば、西岸でも入植地を取り去ることはできる!。(この過程で殺されたのは、今のところ、パレスチナ人だけだ……)

イスラエル軍も入植者も、イスラエル人同士が対決するときには、パレスチナ人に向き合うときと比べて、おそろしいまでに凶暴さがない

全然、違うなぁ。というか、同じイスラエル人でも、隔離壁に反対するデモへの参加者はもうぼこぼこにやられているからねぇ。入植者がお姫様のようにちゃんと抱きかかえられて運ばれているのを見て、岩だらけの土地のうえを兵士に引きずられて、服は切れ、体中傷だらけになっていたデモ参加者たちのことを思いだした。

さて、意外に大人しく去っていく入植者たちを見ながら──口で叫んでいることと行動にはけっこうギャップがあった──、「ファナティック」な入植者が多いとされたガザであっても、大半の人にとっては「入植地が生活を向上させるための」ステップボードでしかなかったのだな、という感想を持った。

アミーラ・ハスが報道したように 賃金が3分の一 でいい労働者がよりどりみどりにいて、政府から各種援助を受けられて、絶好の場所に大きな屋敷や農場をかまえられるなんて、ここしかありえなかったわけだ。

年収が30万ドル(3000万円以上)の農園経営入植者のことを記事で読んだけど、ガザに住むというリスクを冒しても有り余る利益(ベネフィット)があったんだなぁと実感した。それを喜んで手放す人はいないだろうね。

探さないと出てこないけれど、ガザの入植者たちが、「「撤退」で失う天然資源を賠償せよ」──「天然資源」というのは最低の賃金で働くパレスチナ人労働者のことだった──と政府に要求している記事を読んだときに唖然としたことを思い出した。入植者にとっては、これがこたえられないうま味だったんだなぁ…。

その代価を支払っているのは、全部パレスチナ人。土地を盗られ、家を壊され、農地を潰され、水も取り上げられ、そしてどれだけの血を流したか。「植民地」ということの意味をここで改めて感じた。

イスラエル政府からすれば、軍を駐留させ、たくさんの財政的恩恵を与えて、湯水のように特定の人々のためにお金を使っていたのだから、それをすることの意味は戦略的にしかなかったのだろうと思う。

新たな戦略のなかでは、お荷物になっている小さな土地を捨てることは問題はない。そういう意味で、シャロンという人の「実利的な」思考にはある意味脱帽する。恐ろしいまでに実利追求型の人間なのだと思う。

けれど、それは一方的にイスラエルのためになる──狭い視野のなかでは──というだけだ。

シャロンという人は、どこをどうとっても、イスラエルの過去からの政策を全部凝縮した人だということを感じている。上官や政治家に嘘をついても自分のやり方でパレスチナ人に残虐な挑発行為を行った軍人時代( 『ポリティサイド』 による)、2000人以上のパレスチナ難民をなぶり殺しにさせたサブラ・シャティーラの虐殺への関与、第2次インティファーダを引き出したアルアクサーモスクへの強行な「訪問」……全部、一貫して断固としてやり遂げている。今回のことも同じ。

(とりあえず、これにて。シャロンについて、非常に面白い記事を読んだので、そのうち紹介してみたい)

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