2005.08.05
「瓦礫の天使」─パレスチナ人牧師ラヘブさんのお話より
昨日、ユダヤ人青年が銃を乱射したシャファーウムルー(シャフラム)は、非常に古い町で、イエスの母親・マリアがこの街の出身地だという話もある。地元の長老は、マリアが里帰りしたときにイエスも一緒に来て、この街の路地で遊んでいたと語っているらしい。この町はナザレにも近く、今もクリスチャンがムスリム、ドルーズと共に住んでいる。そして、イスラエル建国前はユダヤ教徒(アラブ人の)も住んでいて、シナゴーグもあった。
昨日、お話を聞いたベツレヘム出身のルーテル教会牧師、ミトリ・ラヘブさんはこのようにお話を始めた。
「私はいつも海外で『いつ、キリスト教に改宗したんですか』と訊かれます。それに対する答えは『私の曾祖母のさらにひい、ひい、ひい、ひい祖母はイエスの乳母だったかもしれませんねぇ』というものです」
私はクリスチャンのパレスチナ人をけっこう知っているので当たり前のような気がしていたが、たいがいの場合は「パレスチナ人はムスリムで、キリスト教は西洋のもの」と思われていることをラヘブさんの話から確認した。
ラヘブさんは紀元1世紀〜3世紀までにクリスチャンになったパレスチナ人の末裔であり、ルーテル派には祖父の代からなっている。
あぁ、そうだよなぁと思って聞く。2000年前にアラビア語で福音が読まれていたことも、そう言われてみればそうだと改めて思う。「パレスチナで最初のキリスト教の宣教師はイエス自身なのです」
イスラーム対ユダヤ教のような誤った構図で見られがちなパレスチナの問題で、クリスチャンも共に長いこと生きてきたという事実はもっと知られたほうがいい(特に米国のクリスチャンには知ってほしい!)。
ラヘブさんの「福音ルーテルクリスマス教会」は教会員全員がパレスチナ人で、その3分の2は難民だという。「パレスチナでパレスチナ人として生きることはとても困難なのです」と言うラヘブさんは、「人生で最も恐ろしい体験をしたのは、2002年の春でした」と話し始めた。
2002年の春。イスラエルの言う「防衛の盾」作戦が行われたあのとき。
「4月2日、イスラエル軍はベツレヘムに5つの方向から侵攻してきました」
私はそのとき、友人がベツレヘムにいた。友人から聞いた話、見せてもらった写真が頭のなかで、ラヘブさんの声とともに蘇ってきた。
ラヘブさんの教会は、包囲された生誕教会とは数メートルしか離れていない。ラヘブさんの教会にも兵士は押し寄せ、門を壊して侵入し、なかを軍事ポストとして使用した。
「最初の数日間は、生き残れるかどうかわかりませんでした。隣の家では36歳の女性とその母親が殺されました」
教会やそのセンターのコンピュータ、机、イス、ありとあらゆるものが壊された。最初の14日はまったく外にでることもできずに家に幽閉されていた。食糧が尽きかけたときに、外交特権をつかってスウェーデンの大使がやってきて、皆に食糧を届けてくれたという。*
[*この包囲の最中に書かれた文章は同じくクリスチャンのサーミー・アワドさんが書いた 「収容所と化したベツレヘム」 に]
この包囲と軟禁は50日間続いた。やっと包囲が解かれ、外へ出たときに目にしたのは破壊され尽くした町の姿だった。2000年のミレニアムに多くの建物が新築され、美しく見栄えするようになっていたベツレヘムは消えていた。
「何年もかけてつくられたものが、数時間で壊されたのです。すべての希望が砕け散っていました。こなごなになったガラスの破片は壊された夢の象徴でした」
だが、ここで、この夢を手に取り戻すことを教会の人々は始めた。瓦礫の中から砕けたガラスの破片を集め、それをステンドグラスの技法でアートにすることを始めたのだ。
その中心となったのが、前から教会のセンターでステンドグラスのコースに通って、才能をもっていたサマルさんだった。サマルさんはインティファーダ勃発以来、観光客が減ったベツレヘムで仕事を失い、貧困のなかで子どもたちを育てていた。夫も失業していた。
ガラスの破片をサマルさんは天使の形に仕立てた。
この作業をラヘブ牧師は「死の象徴を生の象徴へ変えることだ」と語った。サマルさんが作った天使は評判を呼び、世界各地から注文がやってきた。「いろんな場所が天使を必要としているのです」とラヘブさん。
サマルさんだけでは注文に応じられなくなり、夫もステンドグラスを習って天使を作り始めた。2002年のクリスマスのミサに、このご夫婦が初めて真新しい服を着て出席しているのを見たラヘブ牧師は思わず涙が出たという。夫婦の目に自分たちへの誇りを感じたことが嬉しかった。
「パレスチナのクリスチャンは絶望の中で希望を見いだし、生きることを証しする、証人(あかしびと)になるべきなのです。正義の、和平の、和解の大使(アンバサダー)になるべきなのです」
瓦礫の天使を作り出すことがパレスチナの地で生きるクリスチャンの生き方の象徴だというようにラヘブさんは語った。
今、ベツレヘムは隔離壁で完全に囲まれつつあり、出入り口は3つだけという。その監獄のなかで生きていくのは容易ではない。だが、ラヘブさんはそれでも希望を捨てていないことを感じさせてくれた。
「聖地には壁ではなく、橋が必要です。それは希望と苦しみを分かち合う橋です」
というわけで、今、私の目の前には小さな天使がいる。素朴な形で、少しデコボコした天使に、どうしてかベツレヘムの苦しみと希望を感じて胸がじんとする。
* ルーテル教会のこのウェブサイト の中のポスター写真で、岩の上に立っているのがその「瓦礫の天使」。注文書をいただいたので、天使を頒布してくださると思う。(頒布価格1500円。問い合わせ先:03-3260-1908、 E-mail: mission04(アットマークをここに)jelc.or.jp 日本福音ルーテル教会宣教室 この代金はラヘブさんが所長をしているベツレヘム国際センターの支援に使われるとのこと)
*ミトリ・ラヘブさんが関わっている "ベツレヘム国際センター(International Center of Bethlehem)" はたくさんの活動を行っている。会議やアート教室、子どもたちのためのアクティビティなど。なかにはイスラエル・アラブのヒップホップグループDAMとの ラップ教室 というのも。
お話はもっとたくさんのことに渡ったのだが、とても全部は書けない。「パレスチナ人は武器もなく、何の力もない。でも、それでいい。弱さが武器なのです」という言葉も印象に残った。



平和の架け橋
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