2005.06.18
日記:子規『病牀六尺』を読む
今週はすこぶる体調が悪かった。私の場合は何かすごい病気というわけではなくて、何の心配も要らないのだけれど、頭が働かず、身体も動かず、何をしているんだかという日々が続くと落ち込みがちなのも確か。
明治35年(1902年)、正岡子規が死ぬ2日前まで書き続けていた随筆をまとめた『病牀六尺』を取りだして読んでみる。
結核で全身が冒されて、蒲団からほとんど出ることがない状態で書かれたものだ。臥したところから見ている世界を(苦痛の度合いはまったく違うとはいえ)共感を持って読む。
「○病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ[はかなさ]、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも、六年の間世間を知らずに寝て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして」(五月五日)
これが『病牀六尺』の冒頭の一節。(旧字は新字にしてあるところも)
今、正岡子規が生きていれば、確実にブログを書くに違いない!。このようなことを這いつくばいながら、硯を擦り、墨で書いていた*かと思うと、溢れてくる「いひたい事」の重さにただうなづく。
とはいえ、別に重々しいことばかりを書いているわけではない。食べたもの、来客、庭の花(確か子規の家では、当時高価だったガラスを子規に庭を見せたいために窓にはめたと記憶している)、美術寸評、俳句寸評、それに時事(これは的はずれなものが多々あるけれど)。
「○この日逆上甚だし。新しく我を慰めたるもの
一、果物彩色図二十枚
(中略)
一、桜の実一籠
一、菓子麺包[パン]各種
一、菱形走馬燈一箇」(六月二十日)
しょうもない一言もけっこう面白い。
そうすか、子規先生。(きょうびは「索麺」なんてとんとお目にかからんですわ)「○ソーメンを素麺と書くは誤つて居る。やはり「索麺」と書く方が善い。索「ナハ」の如き麺の意であらう。」(六月九日)
2年ほども外出をできる状態ではなくなった子規は、「ずんずんと変つて行く東京の有様は僅かに新聞で読み、来る人に聞くばかりのことで、何を見たいと思ふても最早我が力に及ばなくなった」と書き、行きたい場所を挙げている。
「ちよつと見たいと思ふ物を挙げると、
一、活動写真
一、自転車の競争及び曲芸
一、動物園の獅子及び駝鳥
一、浅草水族館
一、浅草花屋敷の狒狒[ひひ]及び獺[かわうそ]
一、見附の取除け跡
一、丸の内の楠公の像
一、自働電話及び紅色郵便箱
一、ビヤホール
一、女剣舞及び洋式演劇
一、蝦茶袴[えびちゃばかま]の運動会
など数ふるに暇がない。」(五月二十六日)
切ないね。でも、子規の好奇心は非常に俗っぽくて、これがまた面白い。「蝦茶袴[えびちゃばかま]の運動会」って何だろう?と思い、少し調べてみると、この時代の女学生がそんな袴をはいていたらしい。やっぱり。。。
俳句や短歌だけに生きたように思われがちな子規が病床からじつに様々なことに思いを巡らしていたことがわかる。次のこのようなものも。
「○警視庁は衛生のためといふ理由を以て、東京の牛乳屋に牛舎の改築または移転を命じたさうな。そんなことをして牛乳屋をいぢめるよりも、むしろ牛乳屋を保護してやつて、東京の市民に今より二、三倍の牛乳飲用者が出来るやうにしてやつたら、大に衛生のためではあるまいか。」(六月二十五日)
ときに恐ろしいほど率直に子規は苦しむ自分を書く。
「病床に寝て、身動きの出来る間は、敢て(あえて)病気を辛しとも思はず、平気で寝転んで居つたが、この頃のやうに、身動きが出来なくなつては、精神の煩悶を起して、殆ど毎日気違のやうな苦しみをする。この苦しみを受けまいと思ふて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシヤムシヤとなる。もはやたまらんので、こらへにこらへた袋の緒は切れて、遂に破裂する。もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。その苦(くるしみ)その痛(いたみ)何とも形容することは出来ない。」(六月二十日)
悲痛でありながら、あまり感傷を感じさせない。「写生」を唱えた子規は自分をも写生していたように思われる。翌日にはさらに苦しみの様子が描かれ、こう付け足される。
「……ただ余にあつては精神の煩悶といふのも、生死出離(しょうじしゅつり)の大問題ではない、病気が身体を衰弱せしめたためであるか、脊髄系を侵されて居るためであるか、とにかく生理的に精神の煩悶を来すのであつて、苦しい時には、何とも彼とも致しやうのないわけである。
(中略)
笑へ。笑へ。健康なる人は笑へ。病気を知らぬ人は笑へ。幸福なる人は笑へ。達者な両脚を持ちながら車に乗るやうな人は笑へ。(中略)
年が年中昼も夜も寝床に横たはつて、三尺の盆栽さへ常に目より上に見上げて楽しんで居るやうな自分ですら、麻痺剤のお蔭で多少の苦痛を減じて居る時は、煩悶して居つた時の自分を笑ふてやりたくなる。(中略)
笑ふ時の余も、笑はるる時の余も同一の人間であるといふ事を知つたならば、余が煩悶を笑ふ所の人も、一朝地をかふれば皆余に笑はるるの人たるを免れないだらう。咄咄(とつとつ)大笑。」(六月二十一日記)
病のさなかにあって、この文章を書く精神力に驚くとともに、こう「書くしかない」病の中にいることを感じ取る。
という有名な歌も、このような視線の果てに生まれたものと思うと、怖い歌だと思えてきた。「くれないゐの二尺のびたるばらの芽の
針やはらかに春雨の降る」(子規)
*[追加]この随筆は、弟子の高浜虚子が口述筆記したものですね。だから、正確には自分が墨を擦ったりしているわけじゃないのですが、表現したいということには変わりないと思います。
(他人にはどうすることもできない─そして、たぶん自分でもどうすることもできない─中にいるAに、Jに。ともに「笑ふ」ために)


