2004.12.04
[日記]「消せない記憶」─日本軍の性奴隷だった女性の言葉
雨が降り出す前に御所の横を歩いていた。ほんの少し葉を揺らす程度の風で、高い梢から紅葉した葉っぱが吹雪のように落ちてくる。空に舞う枯葉の軌跡に見とれる。
「私が話さないと、日本がしてきたことをあなたたちは知らないので、話にきました」
韓国からやってきた77歳の李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ(おばあさん)は一番最初にこう語りだした。
京大で行われた「全国同時証言集会*・京都──日本軍「慰安婦」被害女性を招いて」でのこと。
(*全国同時証言集会は全国10箇所で、今日、同時刻に開かれた。詳しいことは 12・4全国同時証言集会「消せない記憶」 に。)
ここでヨンスさんが語ったことを書き留めようとは思わない。書き留められると思えない。ただ、聴いた言葉の音の響きや、ヨンスさんの仕草や、表情を忘れないために少しだけ書いてみる。
15歳のとき、家から連れ出され、口を塞がれて「拉致」状態で連行されたヨンスさんは、繰り返し暴行を受け、平壌を経て、上海で船に乗せられる。300人の海軍兵士が乗っていた船に、朝鮮の似たような年頃の少女が5人だけ乗せられていた。あるとき、「正月なので、女は歌を歌うように」という命令がかかって、ヨンスさんは甲板で歌を歌った。そのシーンを語るヨンスさんはいきなり日本語で歌を歌い出した。それもかなり長い節を。
「ナニモイエズニ ヤスクニノー……」
ふいを突かれたようにその日本語が胸に飛び込んできた。統治下にあった朝鮮半島の子どもたちが覚えさせられた日本の歌。最も忌まわしい記憶のなかにある歌が正確に再現されている。歌が、自分が使っている言葉が、こんなにもむごいものだったと私は思ったことがなかった。
この船の中でもヨンスさんは激しい暴行を受けている。そして、300人の兵士相手に5人の少女が性的奴隷として使われた。この部分をヨンスさんは「想像してみて下さい」としか言わなかったが、それだけで十分だ。
どこかの港に着き、きれいな着物を着た女性たちがいる家に連れて行かれた。そこにいた「おネエさん」はヨンスさんを「まだ小さいから」と言って匿ってくれたが、軍人にみつけられ、また暴行を受ける。
腿をえぐり取られ、電気ショックのようなものをかけられて、ヨンスさんは何日も死んだように意識を失っていた。その暴行シーンを語っているときにも、朝鮮語の中からこのような言葉が飛び出してきた。
「グンカ(軍靴)ハ イシ(石)ヨリモ、カタイノデス」
「グンカ(軍靴)」という日本語にまた私はたじろぐ。ヨンスさんの腰を踏みつけたものは、朝鮮語ではなく、日本語でしか表せないグンカ(軍靴)なのだ。
九死に一生を得たヨンスさんは、ひとりの特攻隊隊員と出会う。日本名の名前がないと言うと、その人はヨンスさんを「とし子」と名付けた。あと数日で死にに行くという21歳の青年は、とし子ことヨンスさんに歌を歌った。
かなり長い節をヨンスさんはまた日本語で歌ったが、私がメモしたのは次の部分だけだ。
「〜泣いてくれるはとし子がひとりだ〜」
青年が何度か歌っただけの歌をヨンスさんは克明に憶えていた。特攻に出ていく青年にヨンスさんは「一緒に連れていって」と頼んだ。が、青年は「僕が死んだら、かならずとし子をお母さんのところに戻してあげる。だから、隠れて、何とか生き延びなさい」と言ったという。
この日本人青年とのエピソードは「韓国では嫌がる人もいるけれど、愛する人は愛する人なんです」とヨンスさんは語った。
「慰安」所が爆撃を受け、仲間が何人も死んだ。が、生き延びたヨンスさんは終戦を迎えることができ、とうとうテグの実家に戻ることができた。
長いこと、自分の体験を閉じこめて生きたヨンスさんが「慰安婦」であったことを名乗り出たのは1992年6月25日のことだったという。この日付もヨンスさんは日本語で言った。91年に金学順さんが韓国で初めて元「慰安婦」として名乗りをあげて1年後のことだ。
「私の青春は取り戻せないが、再び蘇らせてほしい──蘇らせるというのは、名誉を回復するということです」
97年、98年にヨンスさんは自分が連れて行かれたところを「発見」したという。その手がかりとなったのは、特攻隊の青年が歌った歌の歌詞にあった。台湾の「シンジュク」というところだったという。そこ──今は、台湾空軍の基地になっている──に彼女は行き、青年の慰霊もしたと語っていた。
ヨンスさんの「消せない記憶」のなかにある日本語の響き。その生々しさがすべてを語っていたと思う。
話の最後で、通訳をしていた方が涙をこらえられなくなった。私も肩を振るわせていた。斜め前に座っていた長年の知人(大阪で生まれ育った在日コリアン)の肩も震えていた。互いの思いは別であり、またどこか交差するところもあるだろう。声をかけられずに帰ってきたが、もう少し後に話をしたいと思っている。



特攻隊の青年が歌った歌
コメント by :ビー
歌詞の一部を友人が教えてくれた。
「♪艦皇離陸の台湾離れ、金葉銀葉の雲乗り越えて
誰だって見送る人さえなけりゃ、泣いてくれるはお前が一人〜」
(「お前が一人」のところは、「とし子が一人」というヴァージョンで歌われていたらしい)
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2004.12.10 (Fri) 00:35