2006.12.07

読後メモ:『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』

日本語に訳されたばかりのエミール・ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(山本薫訳/作品社)を読み終えた。こう言ってしまっていいのかどうかわからないが、「面白い」。その語り口に乗せられて、ずんずんと読み進んでいた。

パレスチナで生まれた主人公のサイードは、青年のときに「イスラエル建国」が起こり、祖国を失ってしまう。そのときに父親が殺され、自分もすんでのところで殺されかけたが、ロバが命を救ってくれる。それからのサイードの人生をサイード自身が一人語りで書き記した形を取っているのが本書の体裁だ。

「悲観屋」と「楽観屋」の両方を足した「悲楽観屋」の名を持つサイードは、イスラエルの協力者になり、イスラエルとなってしまった祖国で生きていこうとする。ところが、ずっこけサイードのささやかな幸せはことごとく手のひらからこぼれ落ちていく。それでも、ヘラヘラと生きていくサイード。サイードが持つわずかな意志は挫かれ、運命は絶えずおかしな方向にサイードを導く。

ここでは意志を持って生きることができない。それは不条理な力で、ときに唖然とする展開にさらわれていく。

その中でもシェークスピアやアラブの古典を引用し、パロディにして、サイードは過剰に語る。

悲劇が悲劇として成立せず、喜劇にも転じてしまう場所。そこにいることが悲劇であるという入れ子のような構造がここにある。それはまるでパレスチナ人自体のありようのようだ。

アイロニーに飾られ、全体が不条理劇であるかのようなサイードの人生をじっと見ていると、そこに現れる人々や出来事は、イスラエル建国以後、パレスチナ人に降りかかった苦難をそのまま映し出していることに気づく。その意味でこの小説は、パレスチナ近代史を影のように映し出しているとも読める。リアリズムからは遠いところにあるスタイルなのに、奥底にリアルなものがうごめいていて、それが胸を衝く。

興味深かったのは、イスラエル共産党で活動してきた作者ハビービーが、共産党を取り締まる人物を主人公にして書いている点。サイードが共産党の妨害を図ろうとするシーンなどはニヤリと笑えてしまう。

忌み嫌われるような「協力者」としてのパレスチナ人を主人公においたことで、この小説は「外からの目」を獲得し、かえってパレスチナ人総体をドライに描き出すことに成功しているのかもしれない。

サイードの台詞、それぞれの挿話に、隠された意味がたくさんあるようなこの本を読み尽くすには、まだまだ時間がかかりそうだ。私には気づかない場所も多くあるに違いない。

日本語版は丁寧な注釈のおかげで、アラブの古典からの引用やもじり、現実の出来事や地理もわかるようになっている。複雑に絡み合うレトリックや挿話は、歯切れの良い文体のなかで、この悲喜劇のトーンを壊さずに活かされている。このような訳で読めたことにとても感謝。


この小説を原作にした一人芝居『悲観楽観非運のサイード』が、 ムハンマド・バクリィ来日公演 で上演される[東京12月9日・京都13日]が、いったいどのように芝居になるのか、とても興味深い。サイードのずっこけぶりなどが伝わってくるものであって欲しいなぁ。

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